
青木大 Hiroki Aoki
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シンガポール
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NO&T Dispute Resolution Update 紛争解決ニュースレター
シンガポール国際商事裁判所(Singapore International Commercial Court, SICC)は、2023年1月12日、シンガポール国際調停センター(Singapore International Mediation Center, SIMC)と共同で、「訴訟-調停-訴訟プロトコル」(Litigation-Mediation-Litigation Protocol)と称する手続を導入することを発表した。
「訴訟-調停-訴訟プロトコル」とは、当事者が合意で選択できる紛争解決手続フローであり、SICCで一旦訴訟を開始した後、当事者はまず一定期間(原則8週間)の間に、SIMCにおける調停で当該紛争を解決することを模索し、紛争が調停で解決できれば、その和解内容を裁判所の命令として記録し、仮に解決できなければ、引き続きSICCにおける訴訟を続行するという形で紛争解決手続が進められることとなる。
本プロトコルに基づく手続を行うためには、まず当事者の合意が必要となるが、契約書等において事前に合意されている場合のほか、紛争が顕在化した後に合意されたものでも構わない。
本プロトコルに基づく手続は以下のように進められる。
この「訴訟-調停-訴訟プロトコル」は、SIMCが2014年の開設時から導入している「仲裁-調停-仲裁プロトコル」(Arb-Med-Arb Protocol)をまねた制度であり、基本的にはシンガポール国際仲裁センター(Singapore International Arbitration Centre, SIAC)の仲裁をSICCにおける訴訟に置き換えたものである。
「仲裁-調停-仲裁プロトコル」は、調停で成立した和解合意に執行力を持たせることを主たる目的としていた。つまり、単に調停を行って、その中で和解合意を得ただけでは、その和解合意は裁判所における執行力を持たず(シンガポールには日本における強制執行認諾文言付公正証書のような制度はない)、相手方が和解合意を履行しなかった場合には、改めて和解合意違反を和解合意に基づき訴訟や仲裁で争って、執行力のある判決や仲裁判断を得る必要がある。ただ、改めて訴訟や仲裁を提起するのは時間と手間を要するので、調停手続の中で和解合意が成立した段階で、その和解合意に執行力を持たせるため、仲裁手続を開始して当該和解合意を内容とする仲裁判断を得ることが考えられるが、仲裁提起時には既に和解が成立している以上、「紛争」がもはや存在せず、「紛争」の存在を前提とする仲裁手続の開始自体が法的にできないことになるのではないかという懸念が生じる。そこで、紛争が顕在化した時点でまず一旦仲裁を提起した上で、速やかに調停に移行すれば、「紛争」の存否という法的な要件をクリアできるのではないかという考え方から、このプロトコルが推奨されることとなった。
同様の考え方は「訴訟-調停-訴訟プロトコル」にも当てはまる。つまり、単に調停を行って、和解合意が成立しても、判決同様の執行力が与えられるわけではないが、同プロトコルに従えば、SICCが調停で成立した和解合意を裁判所の命令の形で記録することになり、そこに強制執行力が付与される。
ところで、国際的な商事調停における和解合意自体に法的な執行力を与えるため、「シンガポール調停条約」という国際条約が2018年12月に国連総会で採択されている。執筆時点(2023年1月)において、世界55か国が署名し、シンガポールを含む10か国が批准を行っている(日本も批准に向けた法改正を検討中である。)。条約批准国においては、上記プロトコルを用いずとも、調停における和解合意にそのまま法的執行力を持たせることが可能となったが、批准に至っている国はまだ少なく、上記プロトコルの活用の意義はある。
紛争解決における調停の有効性については、近時注目されているところである。SIMCによれば、SIMC調停における和解の成功率は70~80%に及ぶという。SIMCにおける調停件数は近年大きく増加し、2021年に生じた調停案件の係争額の合計額は、SIMC設立以後7年間(2014年~2020年)の合計係争額30億米ドルと同程度となり、2022年には更に48.4億米ドルに増加したとのことである。
訴訟や仲裁による紛争解決の前に、調停を行うことを当事者に義務づけるいわゆる調停前置条項は実務上これまでもよく用いられている。「訴訟-調停-訴訟プロトコル」は、一旦まず訴訟提起を行う必要があるという点が異なるが、前述の執行力の点に加え、①訴訟提起を一旦行うことで、当事者の紛争解決への本気度がより一層示され、②訴訟提起に当たって当事者が自らの主張を整理し、その法的な強弱を把握した上で調停における和解協議に臨むことができ、③8週間という期間が区切られ、その後は訴訟に移行するというプレッシャーの下、調停による早期和解合意の形成がより促進されるという利点も考えられる。
訴訟や仲裁が相当期間係属した後に、両当事者が合意して調停手続に入るということも珍しくない。その場合は、お互いがお互いの主張をよく理解した上で、落としどころも見えやすくなっているという可能性もあるが、最大の問題はどちらが調停の開始を言い出すかである。言い出した当事者が自らの主張に弱みがあることを自認していると相手方に捉えられ、和解交渉上不利な立場におかれることもあり、両当事者とも調停をしたいのに協議が進まないというジレンマに陥ることも少なくない。また、仲裁人が当事者に対して、調停や和解の協議を勧めることは一般的には多くない(仲裁人の職務は基本的に仲裁手続を完遂することにある。)。その点、事前に「訴訟-調停-訴訟プロトコル」や「仲裁-調停-仲裁プロトコル」に合意しておけば、紛争の早い段階で、どちらが言い出すべきかということに気を揉むことなく、調停を開始して実質的な和解協議を進めることができる。
調停手続は、あくまでケースバイケースで選任された調停人次第のところもあるが、訴訟や仲裁に比べれば簡素な手続である。訴訟や仲裁においては、多くの書面(主張書面、証人陳述書、専門家意見書等)が提出され、ヒアリングの期日も場合によっては数週間や1か月に及ぶこともあるが、調停においては、基本的には簡易な書面を双方が提出した後、1日又は数日の調停期日が開催され、そこで調停人は、双方との協議、また一方当事者との個別の協議を行いながら、合意点を探っていくことになる。当事者の求めがあれば、調停人が中立的な和解案を示すこともある。調停人は必ずしも法的争点の勝ち負けにこだわらない、柔軟な解決策を両当事者に示すこともできる。
これは日本の裁判所における裁判所主導の和解協議と似たプロセスといえる。大きく異なるのは、日本の裁判所における和解は裁判所が主導するが、調停においては、あくまで調停人は(当事者双方が合意した場合を除き)調停手続にのみ関与し、裁判や仲裁には一切関与しないという点である。これは、①判断権者が一方当事者のみと協議を行うことでその判断に偏見が生まれる可能性があるという懸念、②当事者が判決になった場合の心証悪化をおそれ、判断権者に対して本音を話したがらないという懸念を排除するという利点があるが、他方で裁判と調停を全く異なる手続で行う場合には、時間及び費用が余分にかかってしまうという難点がある。これらの利点・難点はトレードオフの関係にあるが、コモンロー諸国を始めとして、適正手続の保障の一環として前者の利点を重んじる国が多い。
調停はあくまで当事者の合意を前提とする制度で、両当事者が納得しない限り調停人は強制力ある判断を示すことはできない。したがって、調停人を選任し、和解協議に相当な努力を費やしても、一方当事者が和解内容に合意しなければ、結局振り出しに戻ってしまい、時間と費用が無駄になってしまうというリスクは存在する。
しかしそうはいっても、巨大複雑な紛争を、両当事者がその関係性を過度に損なうことなく、簡易な手続で解決できるのであれば、調停は有効な選択肢となることは間違いない。その意味では特に取引関係が将来にわたって継続するような関係性にある当事者間の契約においては積極的な導入の検討に値する制度といえよう。
なお、上記プロトコルに基づいて成立した和解合意判決又は和解仲裁判断は、シンガポールにおいては当然執行力をもつが、シンガポール以外の国における執行力は、SICCの判決とSIACの仲裁判断では異なる可能性がある。執行場所がシンガポールに限られる、あるいはシンガポールの判決が執行可能な第三国であれば、「訴訟-調停-訴訟プロトコル」は機能するが、そうでない場合には、現在世界で170か国以上が締結しているニューヨーク条約の下で執行が可能な仲裁判断を最終的に得られる「仲裁-調停-仲裁プロトコル」がより適切となろう。
最後に、訴訟と仲裁と調停の違いについて、簡単にまとめた一覧表を掲げる。
訴訟 | 仲裁 | 調停 | |
---|---|---|---|
手続利用について当事者が合意している必要があるか | 不要 | 必要 | 必要 |
判断者 | 裁判官 | 仲裁人 | 調停人 |
判断者の選任者 | 裁判所 | 当事者合意又は仲裁機関(SIAC) | 当事者合意又は調停機関(SIMC) |
判断者の判断の拘束力の有無 | 拘束力あり | 拘束力あり | 拘束力なし(和解合意が必要) |
執行力 | 他国においては限定的 | 多くの国において執行可能 | 多くの国において和解合意はそのまま執行できない |
本ニュースレターは、各位のご参考のために一般的な情報を簡潔に提供することを目的としたものであり、当事務所の法的アドバイスを構成するものではありません。また見解に亘る部分は執筆者の個人的見解であり当事務所の見解ではありません。一般的情報としての性質上、法令の条文や出典の引用を意図的に省略している場合があります。個別具体的事案に係る問題については、必ず弁護士にご相談ください。
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