
下田祥史 Yoshifumi Shimoda
パートナー
東京
NO&T Finance Law Update 金融かわら版
通常、銀⾏借⼊においては、多くの場合貸付⼈である銀⾏に開設された預⾦に仮差押えが⾏われると、当然にその期限の利益が喪失される旨が規定されている。このように重⼤な結果を⽣じさせる預⾦の仮差押えは、保全債務者(⺠事保全⼿続の対象となっている者)に与える影響が⼤きいとして、⼀般に裁判所はその保全の必要性の審査を慎重に⾏うべきであるとされている。それにも関わらず、特に財務状態に問題があると思われない企業について労働紛争や契約紛争の中で預⾦の仮差押えが⾏われてしまいその対応に苦慮するという事例は(表に出ないものの)必ずしも稀ではないように思われる。本ニュースレターでは、かかる預⾦の仮差押えと期限の利益の喪失事由に関する問題について、なぜこのような事態が⽣じるのか、またかかる事態が⽣じてしまった場合の対応等について検討していく。
上述の通り、銀⾏借⼊において、貸付⼈である銀⾏に開設された預⾦の仮差押えは、多くの場合かかる銀⾏借⼊における期限の利益喪失事由とされている(下記参照)。この場合の期限の利益喪失事由とは、期限の利益喪失事由の発⽣後貸付⼈である銀⾏が通知をすることによってはじめて期限の利益の喪失が発⽣するいわゆる請求喪失事由ではなく、かかる期限の利益喪失事由の発⽣によって当然に期限の利益の喪失が発⽣する、いわゆる当然喪失事由であることが多い。換⾔すれば、預⾦の仮差押えが⽣じた場合には、契約上、直ちに銀⾏借⼊の全額について弁済期が到来する旨定められているということになる。
(銀行取引約定書における規定例)
このような規定が置かれている理由としては、銀⾏側の相殺による債権回収の確保が挙げられる。預⾦債権に仮差押えが⼊ったとしても、仮差押えの前に貸付を⾏っていれば、当該貸付に係る債権の弁済期を到来させることにより銀⾏側は相殺を⾏うことができる(⺠法第511 条第1 項)。また、預⾦に仮差押えが⼊るような状況下では借⼊⼈の信⽤状況が悪化している可能性が⾼いということも理由に挙げられるであろう。
しかしながら、これらの理由からは当然喪失事由としなければならない必然性は導かれない。仮差押えは処分の禁⽌及び弁済の禁⽌を中核としており、保全債権者(仮差押えを申し⽴てた者)が別途本案(保全債権者が仮差押えによって確保しようとした保全債務者に対する権利に関する紛争)について勝訴判決を受ける等して本執⾏を⾏わない限り、仮差押えに係る債権の回収が開始されるわけではなく、従って預⾦に仮差押えが⼊った段階で銀⾏借⼊について⾃動的に期限の利益を喪失させて相殺可能な状態としなければ銀⾏の相殺による優先的回収が直ちに脅かされるわけではない。その意味では、預⾦の仮差押えについては当然喪失事由としながらも治癒期間を設け、⼜は⼀段階軽い請求喪失事由とした上で、もし預⾦の仮差押えという事態が⽣じた場合には、まずは状況を⾒守り、期限の利益を喪失させた上で相殺による債権回収を⾏い、⼜は宥恕(ウェイバー)を⾏い治癒するかを選択していくという建付とすることにも相応に合理性は認められるものと思われる。
それにも関わらず、多くの銀⾏借⼊で預⾦の仮差押えが治癒期間のない当然喪失事由とされているのは、伝統的に直ちに相殺が必要となる預⾦の差押えと特に違いを意識することなく並列的に記載してきたことと、裁判所においても預⾦についての仮差押命令の発令はその影響の⼤きさも踏まえて謙抑的に⾏われるとされており、従って預⾦の仮差押えが借⼊⼈の信⽤状態の重⼤な悪化を⽰すものであると理解されていることといった事情があると思われる。
上記のように借⼊⼈の信⽤状態の重⼤な悪化を⽰すものとして当然喪失事由とされている預⾦の仮差押えであるが、冒頭でも⾔及した通り、必ずしも危機的状況にある企業にのみ⽣じるわけではない。財務状態に何ら問題もないと思われる企業であっても、例えば少額の残業代に係る未払賃⾦を巡る労働紛争において労働者側によって企業の預⾦に仮差押えが⾏われてしまう場合など、突然に預⾦の仮差押えを受けてしまうことは起こり得る事態である。このような預⾦の仮差押えは必ずしも信⽤状態の悪化を⽰すものではないと考えられるが、ではこのような事態は何故⽣じてしまうのであろうか。
仮差押えを始めとする⺠事保全⼿続は、⺠事訴訟の本案の権利の実現を保全するための暫定的かつ迅速な保全という形での救済を与えるものであり、⽴証の⽅法としては証明ではなく、その主張が⼀応確からしいという⼼証を裁判官に与える疎明で⾜りる(⺠事保全法第13 条第2 項)。疎明は即時に取り調べることができる証拠によって⾏わなければならず(⺠事保全法第7 条による⺠事訴訟法第188 条の準⽤)、従って⼤規模な仮処分事件や不服申⽴⼿続を除いて、その審理は基本的には書証のみで⾏われる。また、中でも仮差押えは、保全債務者による財産の処分や散逸によって保全債権者による本案の権利の実現が困難になることを避けるために⾏う事前の保全⼿続であることから、保全債務者に⼿続の存在やその進⾏を⼀切知らせることなく⾏われる(いわゆる密⾏性)。
このような性質から、預⾦の仮差押えは、保全債務者である借⼊⼈が⼀切関知することなく、従って当然のことながら⼀切反論の機会を与えられることなく、保全債権者が別途裁判所に提出した書⾯のみに基づいて発令され得るものとなっている。そのため、本来は上記の通り本案の訴訟で勝利した際に迅速かつ確実に債権回収を⾏うことを⽬的とする仮差押えであるが、保全債務者側の財務状態に問題がなく、従って別途本案の訴訟で勝利した際に債権回収は可能であって事前に仮差押えによって保全を⾏う必要性があるとは保全債権者が感じていない場合であっても、紛争の相⼿⽅である保全債務者に対して⼼理的なプレッシャーを掛けて和解に持っていくために、保全債権者側が仮差押命令の申⽴をするということが訴訟まで⾏うことなく早期に紛争を解決するための有⼒な⼿段と成り得ることになる。
もちろん、以下で述べる通り仮差押えには被保全権利と保全の必要性の疎明が必要であり、また仮差押命令の発令には通常裁判所から仮差押えの⽬的物の価額の⼀定割合に相当する⾦銭・有価証券等によって担保を⽴てることを求められることから、どのような場合でも上記の理由で仮差押命令の申⽴を⾏うことが選択され得るものではないが、保全債務者の財務状態に問題が無い場合であっても保全債権者には早期の紛争解決のために仮差押命令を申し⽴てるインセンティブがあることには留意が必要であろう。
仮差押命令の発令には、保全債権者が保全債務者に対して請求する⾦銭債権が存在すること(被保全権利)と、かかる債権が強制執⾏をすることができなくなるおそれがあるとき⼜は強制執⾏をするのに著しい困難を⽣ずるおそれがあるときに該当すること(保全の必要性)を⽴証する必要がある(⺠事保全法第20 条)。いずれも上記の通り疎明で⾜りる。
では実際に、裁判所において企業の預⾦への仮差押えに関する保全の必要性をどのように判断しているのであろうか。端的に⾔ってしまうと、不動産を重視しているようである。例えば東京地裁保全部では、原則として保全債務者の本店所在地や住所地といった保全債務者が不動産を所有している可能性のある場所(場合によっては⽀店や営業所)の不動産登記事項証明書等を提出させ、保全債務者の資産状態についての審査を⾏っている※2。当然のことながら、このような審査では不動産以外の財産の有無を知ることはできず、従って本社等を⾃社ビルとして保有していない企業の場合がそれのみで資⼒なしと判断されるということが⽣じ得ることになる。20 年前であれば別だが、あらゆる企業が多かれ少なかれバランスシートを軽くしてROE の上昇を⽬指しているという昨今の状況下で、不動産業以外の事業を⾏っている企業の財務状態を判断するために不動産の保有状況を確認するというのは控えめに⾔ってややちぐはぐな印象が否めない。上場企業であれば有価証券報告書等も審査の対象となるのではないかとは思う(ただ、そのような記載は発⾒できていない)が、上場企業の⼦会社や⾮上場企業の場合には、不動産の保有状況のみで資⼒なしとして預⾦の仮差押えの必要性が肯定され得るのである。このような保全の必要性に関する判断の⽅法が、特段財務状態に問題がないと思われる企業の預⾦に仮差押えが⼊ってしまう理由となっているように思われる。
財務状態に問題がない企業について預⾦の仮差押えが⾏われてしまう場合は何が起こるであろうか。まず、預⾦の仮差押えそれ⾃体については、仮差押解放⾦※3が定められており、保全債務者である企業としてはかかる仮差押解放⾦を供託することによって、仮差押えの執⾏の取消しを得ることができる(⺠事保全法第51 条第1 項)。
その⼀⽅で、上述の通り預⾦の仮差押えは当然喪失事由とされ、特段治癒期間が付されていないことが多いから、この場合、論理的には、①預⾦の仮差押えによって(別途通知等を⾏うことなく当然に)預⾦先銀⾏からの当該企業の借⼊はその期限の利益を喪失してその全額について弁済期が到来し、その翌⽇以降は債務不履⾏の状態となり遅延損害⾦が発⽣する。治癒期間が定められていない限り、仮差押解放⾦を供託することによって仮差押えの執⾏が後に取り消されたとしてもこの点は影響を受けない。また、②当該企業が他の銀⾏等から⾏っている借⼊や当該企業が発⾏する社債においては、いわゆるクロスデフォルト条項(他の⾦融債務について期限の利益の喪失や債務不履⾏が発⽣した場合には、債権者の請求により期限の利益を喪失することができる旨の条項)が⼊っていることが多く、従って当該借⼊⼜は社債との関係で①により請求喪失事由が発⽣することになる。
これに対して正⾯から対応しようとすると、まず①との関係では、預⾦の預⾦先銀⾏である貸付⼈から同意を取得することにより失期してしまった借⼊について期限の利益の再付与を⾏ってもらうことになる。また、①との関係でかかる対応を⾏ったとしても、預⾦の仮差押えが⽣じた時点から期限の利益の再付与までの間に、預⾦先銀⾏との関係で期限の利益を⼀時的にせよ喪失し債務不履⾏に陥った事実が消滅するものではないから、②との関係でも発⽣してしまった請求喪失事由の治癒のためにそれぞれの債権者から宥恕(ウェイバー)を取得する必要も⽣じることになる。これにシンジケートローンが絡んで来ると更に影響は⼤きく、多くの銀⾏を始めとする債権者に対して預⾦の仮差押えを受けたが財務状態に問題がない旨を説明の上で同意を取得する必要があることになり、時間や⼿間の問題もあるばかりか、情報拡散によって信⽤状態が悪化してしまう懸念すら⽣じてくることになる。
このような事態を避けるためには、①との関係でそもそも当然喪失事由が当初から生じていなかったと整理することが必要となってくる。上述の通りテクニカルには単に当然喪失事由を治癒や宥恕(ウェイバー)するのみでは②の問題が生じることを避けられないため、別途預金先銀行(シンジケートローンであれば他の参加行)との協議・同意が必要とはなるが、財務状態に問題がない状況での預金の仮差押えが信用状況の悪化を必ずしも示すものではないことを重視し、元々当事者間の合意上かかる預金の仮差押えは当然喪失事由に含まれていなかったことを確認するといった法技術的な対応を行うことも考えられるであろう。
いずれにせよ、財務状態に問題がない状況下であれば、取引先である預⾦先銀⾏はその契約規定により⽣じた悪影響を抑えることに協⼒的であることが予想されるから、預⾦の仮差押えを受けた場合には、直ちに仮差押解放⾦の供託による仮差押えの執⾏の取消の⼿続を⾏うと共に、並⾏して預⾦先銀⾏への情報提供・協議を進めることが必要となる。
議論してきたように、預⾦の仮差押えは、現時点で⼀般的なこれを当然喪失事由とする銀⾏の契約実務に照らすとその影響は⼤きく、また、必ずしも保全債務者である借⼊⼈の信⽤状況の悪化を⽰すものではない場合が存在する。したがって、借り⼿/貸し⼿の双⽅において、紛争が⽣じた場合にその相⼿⽅が債権保全とは直接の関係なく預⾦の仮差押えを求める場合があり、かつ、裁判所が不動産の有無等の限られた情報の下でかかる預⾦の仮差押命令を発する場合があることを踏まえて将来的な検討が必要となろう。具体的には、まずは治癒期間なく当然喪失事由となっていることが多い預⾦の仮差押えについて、例えば治癒期間を付すことや請求喪失事由とすることも検討に値する。上記の通り、仮差押えは仮差押解放⾦の供託によって容易にその執⾏を取り消すことが可能であり、適切な治癒期間の設定のみでの⼗分な効果が得られるように思われる。
さらに、借り⼿である企業側としては、平時から⾃らが⼜はその⼦会社が当事者となっている借⼊/社債に関する契約等の規定において、預⾦の仮差押えやクロスデフォルト条項がどのように規定されているかを把握することがまず求められる。加えて、もし紛争が⽣じた場合において相⼿⽅が預⾦の仮差押えを⾏う可能性はないか、⾃⼰の不動産の保有状況等も考慮しつつ対応することが必要となろう。
預⾦の仮差押え及び期限の利益喪失事由については、従前から⽣じていた問題であると思われるものの、おそらくは⽔⾯下で解決されてきており、議論されることが決して多くなかった。近時はガバナンスの観点から契約に潜むリスク管理が迫られていることもあり、この点についても上記の問題点を踏まえたアップデートが借り⼿/貸し⼿の双⽅において必要となってくるものと思われる。
※1
瀬⽊⽐呂志、⺠事保全法〔新訂第2版〕(⽇本評論社)253 ⾴
※2
江原健志ほか、⺠事保全の実務〔第4版〕(上)(きんざい)243 ⾴
※3
原則として仮差押えの⽬的物の価額と同額となるが、請求債権額がこれを下回る場合には請求債権額となる。江原健志ほか、⺠事保全の実務〔第4版〕(上)(きんざい)247 ⾴
本ニュースレターは、各位のご参考のために一般的な情報を簡潔に提供することを目的としたものであり、当事務所の法的アドバイスを構成するものではありません。また見解に亘る部分は執筆者の個人的見解であり当事務所の見解ではありません。一般的情報としての性質上、法令の条文や出典の引用を意図的に省略している場合があります。個別具体的事案に係る問題については、必ず弁護士にご相談ください。
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