
ジャスティン・イー Justin Ee
パートナー
シンガポール
NO&T Dispute Resolution Update 紛争解決ニュースレター
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建設プロジェクトの「協調契約」モデルについてはいろいろと議論がなされてきたが、シンガポールにおいては少数のグループ内におけるハイレベルな議論に限られており、最近までアイデア出しの域を超えていなかった。協調契約は、従来の契約形式とは根本的な違いがあり、契約当事者(特に発注者)の目には、その先進的な契約形式とプロジェクト管理のモデルがそれほど魅力的に映らないかもしれない。
しかし、ここ数か月、協調契約は建設業界の利害関係者の間で広く関心を集め始めた。これはシンガポールの法律家団体の主導によるところが大きい。シンガポール法曹協会(Singapore Academy Law)とシンガポール国際商業裁判所(Singapore International Commercial Court)は、4月にセミナーと炉辺談話を実施し、著名な国際判事・シンガポール判事と法律実務家のパネルが協調契約について議論した。
その1か月後、シンガポール法曹協会の「建設業における協調契約に関する手引き」(2022年1月発行)の著者らは、建設法学会(シンガポール) (Society of Construction Law)のセミナーにて意見を発表した。今年の後半に建設法学会と国際法定裁定フォーラム(International Statutory Adjudication Forum)は、協調契約と裁定に関する会議を開催する予定である。
そもそも、協調契約は現実には特定のプロジェクトにしか適さない。そして、協調契約の採用が成功するかどうかは、同契約によってできることについての利害関係者の理解と、協調契約に伴う実務的・商業的な考慮事項、必要な条件、協調契約がプロジェクトに及ぼす影響に大きく依存する。こうした事項について、以下、簡単に考察する。
協調契約については、その長所に議論が集中しがちである。しかし、この契約モデルをプロジェクトに採用するかどうかの判断にあたっては、その理念や基本をおさえておかなければならない。
協調契約とは、プロジェクトのあらゆる面で主要な関係者が協力し、相互信頼と相互利益の原則に基づいて情報、リスク及び利益を共有・管理する契約方式とプロジェクトの枠組みを指す。
これは、当事者それぞれの債務、リスク、コスト、利益及び責任が当初から明確に定義され、当事者間に配分される伝統的な契約と対照的である。
協調契約は、通常、以下の要素・特徴をいくつか有する。
協調契約に関して唯一のモデルや公式が存在するわけではない。協調やリスク/報酬の分担についての種類と範囲は契約当事者が合意して決定することができる。
実際には、契約当事者はプロジェクトの特徴を慎重に評価した上でそもそも協調契約がそのプロジェクトに適しているかどうかを確認し、採用すべき協調契約の特徴と程度を決定することとなる。
金額規模が大きく複雑かつ短いタイムラインのプロジェクトは、協調契約の恩恵を最も大きく受ける可能性が高い。これは、利害関係者間の調整と協力や、協調契約メカニズムやプロトコル(早期警戒メカニズム、プロジェクト・ワークショップ及びプロジェクト管理システムなど)を用いたプロジェクト・契約の一括管理のために、より多くの資源や時間が必要となるからである。
言い換えれば、プロジェクトの規模と性質は、協調契約の実施に費やされる時間とコストに見合うものでなければならない。特に、協調の度合が大きい協調契約モデルを採用する場合にはなおさらである。
複雑な設計のために時間が比較的限られている場合や、かなりの未知の変数が存在する場合、協調契約は、従来の契約モデルのように追加費用や遅延の典型的なリスクや影響を一方当事者にのみ課すのではなく、設計開発やコスト調整に柔軟性を持たせる形で対応する。
伝統的な契約では、リスクと報酬が契約によって既に明確化されるため、専門知識と情報の協力と共有はかなり制限される傾向がある。また、一種の請求権放棄条項(「no fault」条項)が設けられることがある協調契約とは異なり、伝統的な契約の場合、敵対的手段による請求及び紛争の遂行は制限されていないため、契約当事者はより警戒状態に置かれる傾向がある。このように、当事者は、伝統的な契約の制限の範疇を越えて、協調したり革新したりすることには商業的な利益がなく、そのような動機付けを得られない。要するに、一部の伝統的な契約が持つ「バリュー・エンジニアリング」条項を別にすれば、そのプロジェクトは、いったん契約が締結されれば、ゼロサム・ゲームになる。
他方、協調契約によって、オーナーを含む全ての当事者が、予期せぬ問題や課題に対する積極的な解決策を模索し、可能な場合にはコストと時間を削減し、有害事象に対する早期警報メカニズムを発動するための十分な基礎がもたらされる。なぜなら、これらは、(契約の内容次第ではあるものの)最終的に当事者間で分配されるプロジェクトの最終共通利益に直接影響し得るからである。
早期警戒メカニズムは、賠償責任の放棄や訴訟権の制限と相まって、紛争回避につながり、高いレベルの信頼と透明性に基づいた、敵対的ではない環境を醸成する。これは当事者にとっての訴訟リスクとコストを減らすこととなる。
各当事者は、プロジェクトのコストとスケジュールからの乖離の責任を一方的に負うおそれから相対的に解放され、むしろ適切な努力によってより高い報酬が得られるとの見通しに基づきインセンティブを得る。そのため、各当事者は、より高い効率性を通じて共通利益を得るために、イノベーションとバリュー・エンジニアリングを積極的に行うこととなる。理論的には、協調契約は適切なプロジェクトにおいて全参加者にとってのパイのサイズを大きくするはずである。
しかし、もちろん協調契約には潜在的な課題とマイナス面がないわけではない。第一に、協調契約の柔軟性と緩やかさの反面、(少なくとも初期段階における)設計とコストの不確実性の問題があり、コストと時間の超過につながる可能性がある。
また、時間的プレッシャー、デッドロック、その他の商業的な考慮要素のために一方的かつ迅速な指示や行動が必要となる場合には、合意形成的・協調的なプロセスや意思決定が仇となることも考えられる。
加えて、協調契約が各当事者の権利と請求権の放棄を伴う場合、契約者が意図しないモラルハザードをもたらす可能性があり、結果や責任を配分する伝統的な契約の下では発生しないリスクの高い行動につながり得る。
シンガポールでは、公共セクターが協調契約の原動力となっている。協調契約はごく初期の段階にあるものの、国家開発省(Ministry of National Development)と建設庁(Building Construction Authority)は、近時協力してシンガポールにおける協調契約の普及を推進すべく活動を行っている。
2020年のプンゴル・デジタル地区(Punggol Digital District)は、協調契約を採用した最初の大規模公共プロジェクトであった。プンゴル・デジタル地区はシンガポール初の統合されたビジネス、学習、ライフスタイルのスマート・ハブであり、2024年に完成予定である。プンゴル・デジタル地区プロジェクトは、公共セクター標準契約条件(Public Sector Standard Conditions of Contract)の最新の2020年版に導入された協調契約用のオプションモジュールを組み込むことにより、比較的緩やかな協調契約を採用した。
公共セクター標準契約条件は、シンガポールの公共セクターのプロジェクトで一般的に使用される標準的な契約フォームである。概ね発注者にとって有利な条件の内容であり、この点は従来の建設契約と共通する。公共セクター標準契約条件の協調契約用のオプションモジュールには、早期警戒メカニズムや階層化された代替紛争解決手順などの協調契約の特性がいくつか含まれるものの、リスクや利益の分担、責任放棄など、より踏み込んだ協調契約の要素は含まれていない。このように、シンガポールにおいては協調契約の推進と受容について更なる進展が期待される状況である。
2022年9月、国家開発省は最新の建造環境業界変革マップを発表した。建設庁は、業界変革マップが「より高い生産性、回復力、持続可能性のために、建設業界のバリューチェーン全体にわたって提携を促進し、利害関係者を盛り上げることを目指す。」と述べた。業界変革マップの主要な変革領域の1つは、統合計画・設計(Integrated Planning and Design)であり、建造環境セクター内でのより緊密な連携と、利害関係者をつなぐための既存のデジタル技術の活用が鍵になる。
協調契約をプロジェクトに採用することは、伝統的な契約における権利/義務/請求権に基づくアプローチに慣れている多くの者にとってパラダイムシフトとなる。協調契約は、対照的に、リスクと報酬のシェア、信頼と透明性に支えられているからである。そのため、協調契約の採択と実施を成功させるには、基本的な考え方を積極的に改めること、そして全ての主要な利害関係者とそのプロジェクトメンバーによる様々なレベルでの理解が必要となる。
また、様々な利害関係者が協調契約の長所と短所だけでなく、協調契約の枠組の中で利用可能な機能やニュアンスをよりよく理解できるよう、関連するセクター内でのさらなる教育と対話が必要である。直感的には、業界のリーダーがこの動きを主導し、政府組織の支援を得るべきであろう。
シンガポールの場合には、公共セクターの事業に対する持続的な需要を考慮すると、公的機関と公共発注者が、協調契約推進の先頭に立つべきフロントランナーであり、実例を通じてこのモデルを請負業者に知らせていくことができるはずである。プンゴル・デジタル地区とは別に、協調契約モデルは、少なくとも計画中の他の9つの公共プロジェクトで使用される。
なお、ここまで協調契約についての楽観的な展望に触れてきたが、協調契約の成否は、これらのプロジェクトの存続期間中の実際の運用状況と、利害関係者が最終的に得る利益の大きさ次第である。協調契約が適切に評価され、また、将来の活用に向けて精緻化されるのは、評価根拠となる数値が出てきてからになるだろう。
本ニュースレターは、各位のご参考のために一般的な情報を簡潔に提供することを目的としたものであり、当事務所の法的アドバイスを構成するものではありません。また見解に亘る部分は執筆者の個人的見解であり当事務所の見解ではありません。一般的情報としての性質上、法令の条文や出典の引用を意図的に省略している場合があります。個別具体的事案に係る問題については、必ず弁護士にご相談ください。
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