
ジャスティン・イー Justin Ee
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シンガポール
NO&T Dispute Resolution Update 紛争解決ニュースレター
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差止命令は商事紛争において当事者の権利保全の鍵を握ることがよくある。しかし、一般的に差止命令は容易に認められるものではない。 Gazelle Ventures Pte Ltd v Lim Yong Sim and others [2023] SGHC 328(以下「本判決」という。)は、シンガポールの裁判所が複雑不法行為の絡む会社差止命令の申立をどのように審査するのかということを顕著に示す裁判例である。
本判決の事案では、申立人がビジネスパートナーの特定の行為を差し止めるために申立を行ったものの、高等法院が当該申立を棄却した。本判決の理由中の分析は、会社関係訴訟の文脈における差止命令の要件や考慮事由を理解するために有用である。
「injunction」という用語は、当事者に特定の行為の禁止又は実施を命じる法的救済手段を表しており、そのうち前者が差止命令である。
申立人は法的手続の開始時又は途中で仮差止命令(interim又はinterlocutory injunction)を申し立て、最終判決までの間、自らに回復不能な損害が生じるのを一時的に防ぐことができる。本案訴訟終結時の最終的な判決には、(i)仮差止命令の終局・永続化、(ii)仮差止命令の変更、又は(iii)仮差止命令の撤回、などが含まれることがある。
差止命令には一般的に3つのタイプがある。
タイプ1:発生済みの請求原因事実に直接関係するもの(最も一般的)
例:申立人の商標を侵害する被申立人の既存の行為を停止するための差止命令。
タイプ2:今後発生する可能性のある請求原因事実に直接関係するもの
例:申立人の商標を侵害する被申立人の行為を未然に防ぐための差止命令。予防的差止命令(quia timet又はprecautionary injunction)と呼ばれる。
タイプ3:発生済みの請求原因事実と間接的に関係するもの
例:被申立人の資産の散逸を防ぐ資産凍結命令。
差止命令の本質は、それが仮のものであれ終局的なものであれ、当事者に特定の行為の禁止等を強制することにあり、認められるための要件は金銭的補償の場合よりも厳格である。
本判決の事案において、申立人投資家は、対象会社の被申立人株主らに対する予防的差止命令の発令を求め、株主総会での特定の決議を阻止しようとした。
投資契約の一環として、申立人は対象会社に最大500万シンガポールドルの資金を提供するため2つの契約を締結した。そのうちの1つの契約(以下「本実施契約」という。)には、(i)特定の決議を採択するための株主総会を招集し、(ii)被申立人株主がこれらの決議に賛成する投票を行うことを約束する、という条件が含まれていた。加えて、被申立人株主らはこれらの条件を含む証書(以下「本証書」という)に署名し、上記条件となっていた株主総会(以下「原株主総会」という。)が招集され、決議が採択された(以下「原決議」という。)。
その後、申立人投資家と被申立人株主らの間で対立が生じ、株主の1人は関連する契約が不当に解除されたとして会社に対する仲裁を提起した。
なかでも、当該株主は株主総会を招集し、(i)申立人投資家が指名した会社の取締役を解任し、(ii)原決議を取り消す決議(以下「本決議」という。)を求めた。
これを受けて、申立人投資家は高等法院に対し、本決議を差し止める予防的差止命令を申し立てた。
裁判所は、投資家の申立を全面的に棄却した。
予防的差止命令が認められるためにはBhavin Rashmi Mehta v Chetan Mehta and others [2022] SGHC 173事件で示された次の2段階審査を通過する必要がある。
第1段階:差止命令が発令されなければ、被申立人が申立人の権利を侵害する「高度の蓋然性」がある。
第2段階:(権利を侵害する高度の蓋然性がある場合)潜在的な違反によって生じ得る損害が重大かつ回復不能であり、違反が実際に発生した時点で直ちに差止命令を発効させたとしてもその場合の金銭的補償では不十分である。
裁判所は、次のとおり、いずれの段階も満たされていないと判断した。
まず、申立人投資家からの被申立人株主らに対する請求原因が認められない。投資家は、本決議が採択されれば株主らは本証書に違反することになると主張したが、裁判所はこれを認めなかった。なぜなら、(i)本証書は会社のために締結されたのであって、投資家はその履行を強制する立場になく、(ii)本証書の文言を解釈すれば、原決議が採択された時点で株主らの義務は履行されたといえ、原株主総会の終了時にその義務は消滅したことになるからである。
次に、裁判所は、(i)不法な手段による加害、及び、(ii)不法な手段による共謀、という不法行為は対株主の関係では認められないと判断した。不法行為請求に共通する、不法な行為、加害の意思、損害といった要件が満たされていないということである。具体的には、株主らが申立人投資家との関係で本証書に違反したとはいえず、また、申立人投資家は会社の株主ではないため株主らが会社に対して誠実に投票権を行使する義務に違反したとはいえず請求を基礎付ける不法な行為がない、本決議を採択するに当たって株主らに加害の意思は認められない、本決議の採択によって申立人投資家に損害が生じるとはいえない、との判断がなされた。
判決においては第2段階についても念のため簡潔な理由が示されている。裁判所は、予防的差止命令が認められない場合に投資家が重大かつ回復不能な損害を被る可能性は低いと結論付けた。なぜなら、差止命令が認められたとしても本実施契約が完了するかどうかは不確実であり、関係のない別の要因によって完了が妨げられるかもしれないからである。
このように、投資家の主張は、差止命令が認められなければ、本実施契約を履行させる機会を失うという限度にとどまるものであった。さらに、差止命令が認められない場合に投資家が被ると特定できるような損失はなかった。したがって、裁判所は、当該損失は回復不能であり損害賠償では補償できないと結論付けることはできなかった。
本判決から得られる学びは、シンガポールの裁判所が予防的差止命令について申立人の主張立証に高い水準を要求し、事実関係について厳格な審査を行うということである。事前かつ強力な予防的差止命令の性質からすればこれは不思議なことではない。
したがって、ジョイントベンチャー又はその他の投資取引の当事者は、(i)ビジネスの組成段階の契約書作成において潜在的な紛争を念頭に置くこと、(ii)取引相手に対して、特に不法行為を基礎として法的措置を採ることが想定される場合、当該相手とのコミュニケーションの各段階において重要な証拠を整理して残すこと、を検討しておくことが望ましい。この観点からは、ビジネスの組成段階から経験豊富な弁護士の関与が必要になることもある。
本判決の事案において、予防的差止命令が認められていたとすれば、投資家にとっては、本決議を差し止めることができたかもしれない。これによって株主らを交渉の場に引き戻し、有効な救済を得られた可能性もある。本件のような複雑な会社関係訴訟は、国際的なジョイントベンチャーとの関連で提起されることも多いので、日本からの投資家を含む外国投資家がシンガポール法に基づいてシンガポール又は他国のパートナーと一定の協力関係に入る場合に、本判決をはじめとする裁判例に触れておくことが望ましい。そこから差止による権利保全、リスク管理又は有利な交渉遂行に役立つ実務的な学びを得られることがある。
※「【コラム】日本企業の国際法務と紛争① ―「Joint Venture」」をPDF内に掲載しておりますので、「全文ダウンロード(PDF)」よりご覧ください。
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