
松本渉 Wataru Matsumoto
パートナー
東京
NO&T Corporate Legal Update コーポレートニュースレター
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近時、M&Aにおいて表明保証保険の利用が増加しています。同保険は、一定規模以上の海外M&A案件では広く導入が進んでいますが、国内M&A案件においても、国内の主要な損害保険会社による提供が本格的に開始したこと等をきっかけに2020年頃より利用例が増加しており、現在ではM&Aに携わる者にとってかなりなじみのあるものになってきています。
もっとも、表明保証保険はM&A契約に関して生じる損害の全てをカバーし得るというものではなく、その付保対象となる事項が、①M&A契約の表明保証条項に規定される事項の違反であって、②契約締結の前提として十分なDDが実施されており、かつ、③DDを含む契約プロセスにおいて判明しなかったものに限られるという点に留意する必要があります。
すなわち、表明保証保険は、案件の過程で把握できた既知のリスク(Known Risk)に関する手当てとなるものではなく、これらのリスクは譲渡価格に反映させるか、あるいは特別補償条項を設ける等のアレンジによって対応することになります。もっとも、かかるアレンジを契約に織り込めるかどうかは当事者間の交渉事項となりますので、交渉の目線が合わず案件がブレークしてしまうということも起こり得ます。
本ニュースレターでは、このような表明保証保険や既存の契約アレンジでは必ずしもカバーできないKnown Riskに対処する一方策として、近年欧米を中心に導入が進み始めている偶発リスク保険(Contingent Risk Insurance)の概要とその活用方法について概観いたします。
偶発リスク保険は、文字通り偶発リスク(Contingent Risk)が顕在化した際に生じた損害をカバーするための保険であり、付保時点において既知か不知かを問わず、また、本来的にはM&Aの文脈以外でも利用することが可能です。なお、Known Riskをカバーする保険としてはその他にも租税債務保険や環境賠償責任保険等、特定の分野を対象とする保険がありますが、偶発リスク保険は、そのような特定分野の事項に限らず、様々な種類のKnown Riskをカバーする手段としての利用が見込まれています。
もっとも、あらゆる潜在債務が付保対象となるわけではなく、保険会社として対象となるリスク事項について付保可能かどうかを審査し決定することになります。かかる決定の際には主として以下の点が考慮されます。
偶発リスク保険の対象となるリスクは、保険会社が付保可能かどうかを判断できるものでなければなりませんので、前提として法的なリスクである必要があります。例えば、将来の事業計画の実現可能性のようなビジネスリスクについては付保対象とはなりません。
顕在化可能性は、当該リスクが実現して損害が生じる可能性を指します。これには、損害の原因となる事象が実際に起こるか否かという観点に加えて、被保険者側の立場を裏付ける法的根拠がどの程度強いかという観点も影響します。言い換えると、被保険者の立場が法的に弱いと思われる事項は、付保対象として認められない可能性があるということです。顕在化可能性の観点から、保険会社は被保険者側の法律専門家の意見書を踏まえて付保の可否を検討することになります。
定量性とは、法律や先例に基づき、リスクが顕在化した場合の損失額がどの程度明確に算定可能かどうかという点を指します。逆に言えば、損失の外延が予測不可能なリスクについては付保の対象とされないおそれがあります。
保険会社はその引受審査において、付保対象になるリスクか否か、保険料をどの程度に設定すべきかを審査します。付保対象として認められるリスクの中でも、リスクの顕在化可能性が低く、より明確に定量できるものであれば、保険料は相対的に低額になる可能性があります。
M&Aのプロセスにおいて検出されたリスクについて上記の観点から付保可能と判断される場合には、Contingent Risk Insuranceの対象となりますが、以下ではContingent Risk Insuranceを実際に利用し得ると考えられる典型的な場面をとりあげます。
M&Aの検討過程においては、過去の株式の変遷経緯や株券交付の有無が不明である等、株式の所有権原に関する瑕疵が発見されることがあります。実際には権利関係をチャレンジされる可能性は高くないとしても、株式譲渡によるM&A案件において、直接の譲渡の対象となる株式に関する瑕疵は無視できないリスク要因となりますが、このようなリスクについても偶発リスク保険の利用によって対応することが考えられます。加えて、株式の所有権原の瑕疵は、その顕在化可能性や定量性を測ることが比較的容易なリスクですので、比較的低額な保険料で付保できる可能性が高い事項です。
DDの過程で現在係属中の訴訟その他の法的手続の存在が判明した場合、これを偶発リスク保険の付保対象とすることにより、被保険者に不利な判決が下された場合に、その損害額を保険金でカバーすることが可能になります。特に、PEファンドが売主としてエグジットするような場面では、当該訴訟に関する特別補償条項を受け入れる代わりに、偶発リスク保険を活用することでクリーンエグジットを実現し、ファンドの投資者への早期配当を可能にするといった利用方法も想定されます。
潜在的な法令違反に関連する債務、契約相手方との紛争等、M&Aの検討過程で発見されたKnown Riskの取扱いを巡って両当事者の立場が鋭く対立するような局面において、偶発リスク保険は両者の着地点としての選択肢となり得ます。この点、表明保証保険にも同様の効果が指摘されますが、上述のとおり、偶発リスク保険は、特定のKnown Riskをカバーするものであるという点が異なります。その意味で、表明保証保険と偶発リスク保険とは相互補完的に存在し得るものということもできます。
偶発リスク保険は世界的に見ても現在進行系で活用が増えてきているという状況です。しかしながら、この保険の特性について理解を深め、上手に活用することで、案件の難局を乗り越えるための選択肢になることも期待されます。本ニュースレターがその一助となれば幸いです。
※本ニュースレターの執筆にあたっては、Marsh (Singapore) Pte. Ltd.の Pin Li Lim氏に貴重な助言を賜りました。この場を借りて感謝の意を申し上げます。なお、本ニュースレターに記載の内容はいかなる意味でもMarsh (Singapore) Pte. Ltd.の公式な立場又は見解を表すものではない点ご留意ください。
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大久保涼、伊佐次亮介、小山田柚香(共著)
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(2025年4月)
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商事法務 (2025年4月)
長島・大野・常松法律事務所 農林水産・食品プラクティスチーム(編)、笠原康弘、宮城栄司、宮下優一、渡邉啓久、鳥巣正憲、岡竜司、伊藤伸明、近藤亮作、羽鳥貴広、田澤拓海、松田悠、灘本宥也、三浦雅哉、水野奨健(共編著)、福原あゆみ(執筆協力)
大久保涼、伊佐次亮介、小山田柚香(共著)
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安西統裕