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マルス・クローバック条項の概要と近時の動向、導入時の留意点

NO&T Compliance Legal Update 危機管理・コンプライアンスニュースレター

※本ニュースレターは情報提供目的で作成されており、法的助言ではありませんのでご留意ください。また、本ニュースレターは発行日(作成日)時点の情報に基づいており、その時点後の情報は反映されておりません。特に、速報の場合には、その性格上、現状の解釈・慣行と異なる場合がありますので、ご留意ください。

はじめに

 近時、日本国内においても、不正防止等に関する役員のインセンティブを高める目的でいわゆるマルス・クローバック条項を導入する企業が増加しており、また、実際に同条項の発動を公表する企業の事例も登場するなど、役員報酬の定め方に関する新たな取組みに注目が集まっています。本ニュースレターでは、マルス・クローバック条項の概要と国内外における近時の動向を紹介した上で、日本企業における導入時の留意点について解説します。


マルス・クローバック条項の概要

(1) マルス・クローバック条項の意義

 マルス・クローバック条項とは、重大な法令違反、業績修正、役員の不正行為等の一定の事由(以下「トリガー事由」といいます。)が判明した場合に、役員の報酬の全部又は一部について、減額・没収・返還を求めることを内容とする条項のことを指し、マルス条項は、権利付与後・権利確定前の報酬について支給前に減額又は没収することを規定したものを、クローバック条項は、権利確定後の報酬について支給後に返還させることを規定したものを指すと一般に解されています。

 マルス・クローバック条項は、役員による不正行為や会社を害するリスクの高い意思決定を抑止し、そうした行為等が行われた場合に会社から役員に対する不当な利益の移転を防止することが主な目的とされ、通常、取締役会決議に基づき、役員報酬に関する社内規程や役員との契約等において定められます。

(2) 導入のメリット

 従来、日本では、企業において重大な法令違反や業績修正等があった場合、当該企業の役員が既に支給された報酬等を自主的に返納したり、将来の報酬等の受領を辞退したりする対応(以下「自主返納」といいます。)が行われてきました。もっとも、自主返納は、あくまでも役員個人の自発的な意思に基づく必要があり、また、その実施基準が不明確であることもあって、統一的な報酬政策の実現や役員に対する不正防止等のインセンティブ付けという観点で見たとき、ガバナンス上の実効性に限界が存在します。

 一方、マルス・クローバック条項は、トリガー事由が生じた場合における報酬の減額・返還・没収を事前に定めるものであり、その発動も、統一的な報酬政策に基づく明確な基準に沿って行われ得ることから、自主返納と比して、役員に対してより適切にインセンティブ付けを行うことが可能となると考えられます。したがって、マルス・クローバック条項を導入することには、役員による不正行為や会社を害するリスクの高い意思決定を抑止することに関し、ガバナンスの実効性確保の観点からメリットがあるといえます。

(3) 導入方法

ア 対象報酬と適用手法

 マルス・クローバック条項を導入する対象となる役員報酬は、月額の固定報酬に限られず、短期又は長期のインセンティブ報酬等も含まれ得ますが、その設計は企業により様々であり、導入時には、自社における役員報酬制度の内容を踏まえ、対象とする報酬を個別に検討する必要があります。

イ トリガー事由・判断機関

 トリガー事由についても様々なものが想定されますが、典型的には、業績修正が生じた場合や法令違反等の重大な不正行為が発生した場合が挙げられます。例えば、業績修正の場合は、原因を問わず、業績修正が公表され、かつ、修正前の役員報酬額が過大であったと評価される場合をトリガー事由として定め、業績修正の内容に応じて報酬返還等の要否や金額が決定される設計とするのが一般的です。不正行為等の場合は、役員自身による又はその管掌範囲における不正行為等の発生をトリガー事由として定めることになります。この場合には、報酬返還等の要否や金額を個別に検討・決定する設計とすることが一般的と考えられますが、適用ルールの明確化の観点からは、あらかじめ不正行為等の内容・重大性の程度等に応じて報酬の減額・返還額の割合等に関する一定の基準を設ける形とすることも考えられます。

 また、トリガー事由の該当性やマルス・クローバック条項発動の要否等をいずれの機関が判断する設計とするかについても様々な考え方があり得ますが、役員報酬に関する判断であることから、指名報酬委員会や取締役会等を判断機関とするのが現在の日本の実務では一般的です。このほか、当該判断の合理性・相当性については経営陣から独立した立場からの検証が行われる方が望ましいため、社外取締役の意見を確認することや、任意に設置する報酬諮問委員会に諮問することなども考えられます。

ウ 対象者の範囲

 対象者については、マルス・クローバック条項を設定する目的に応じて柔軟に決定することが可能であり、会社を害するリスクの高い意思決定を抑止することを主たる目的として設定する場合は、対象者は、執行役員を含む従業員に拡大することも考えられます。ただし、対象者が労働基準法の「労働者」に該当する場合、マルス・クローバック条項の導入は、損害賠償額の予定を禁止する労働基準法16条等に抵触する可能性が高いため、慎重な検討が必要になります。

国内外におけるマルス・クローバック条項の導入状況

(1) 海外における導入状況

 米国では、「SOX法」(Sarbanes-Oxley Act)の中で、不正行為の結果、財務報告規制に対する重大な違反が行われ、会計報告を修正する事態となった場合、CEO(最高経営責任者)とCFO(最高財務責任者)は、財務諸表を公表したとき、又は証券取引委員会に提出したときのいずれか早いほうから12か月以内に受け取った、ボーナス、インセンティブ報酬、エクイティ報酬、会社の株式売却によって得た利益を、会社に返還しなければならないと規定されています(同法304条)。また、2023年10月2日施行のニューヨーク証券取引所及びNASDAQの規則改正に伴い、これらの証券取引所に上場する企業は、一定の場合における報酬の取戻し(クローバック)を求める制度の導入が義務づけられています。

 また、英国では、2024年、英国財務報告評議会(FRC,Financial Reporting Council)が公表するコーポレートガバナンスコードが改訂されており、“comply or explain”の原則のもと、取締役報酬を定める契約等でマルス・クローバック条項を定めるべきであること及び年次報告書でマルス・クローバック条項の適用条件や適用の有無、適用した場合にはその理由等を記載すべきであることが定められています※1

(2) 日本国内の導入状況・発動事例

ア 日本国内の導入状況

 日本では、米国や英国とは異なり、会計報告を修正する事態となった場合等に、役員等へ報酬の返還を義務付ける法令上の規定は存在せず、マルス・クローバック条項の導入はあくまで任意のものとなります。

 2023年6月末から2024年7月1日までに提出された有価証券報告書を対象に行われた「日本企業の役員報酬に関する状況」に関する調査結果※2によれば、調査対象となった791社※3のうち、マルス条項を導入していた企業は51社(プライム市場上場495社中50社〔10.1%〕、スタンダード市場上場198社中0社〔0.0%〕、グロース市場上場98社中1社〔1.0%〕)で、クローバック条項を導入していた企業は66社(プライム市場上場495社中64社〔12.9%〕、スタンダード市場上場198社中1社〔0.5%〕、グロース市場上場98社中1社〔1.0%〕)でした。このように、日本ではマルス・クローバック条項を導入している企業はまだ少数派にとどまっていますが、両方の条項を導入していた企業は46社(プライム市場上場企業の495社中45社〔9.1%〕、スタンダード市場上場198社中0社〔0.0%〕、グロース市場上場98社中1社〔1.0%〕)であったことから、これらの条項を導入している企業の中では、マルス条項とクローバック条項の両方を導入している企業が多い傾向にあることが確認されています。

 また、上記調査結果によると、トリガー事由については、「法令違反や社内規定違反等のコンプライアンス違反」が47社と最も多く、「会計上の不正や決算の修正等」を採用している企業が33社、「不正行為」が21社、「不祥事等」が8社、「解任や自己都合による退職」が6社となっています。このうち、「会計上の不正や決算の修正等」と「法令違反や社内規定違反等のコンプライアンス違反」の両方を発動条件に含めていた企業は22社であり、日本においては会計や決算に限定されない、幅広い法令違反・コンプライアンス違反を発動条件とする傾向が確認されています。さらに、2025年1月以降の企業による各種開示情報によると、プライム市場に上場している金融機関、総合商社、電気機器メーカー、海運会社等の複数の大手国内企業がマルス・クローバック条項を2025年より新たに導入する旨を公表しており、マルス・クローバック条項を実際に導入・公表する企業の事例は、今後も増加していくことが考えられます。

イ 発動事例

 日本における実際の発動事例としては、2023年12月に公表された事例があり、同社では、懇親会の場で酔った状態で同席していた女性に抱きつく等の不適切行為を行った役員について、月額報酬・賞与・株式報酬の一部返還・没収が実施されました。なお、同社は、重大なコンプライアンス違反等があった際の懲罰として、必要に応じて報酬諮問委員会の審議を経た上での取締役会決議によって役員報酬(原則として最大で4事業年度分)の返還請求・没収を実行できる旨の内容のマルス・クローバック条項を設けている旨を併せて公表しています。

 今後、マルス・クローバック条項の導入が広まるにつれて、役員の不祥事対応の一環として、同条項を実際に発動し、それを公表する企業の事例も増加していくことが考えられます。

導入の際の留意点

(1) 経営戦略を踏まえた統一的な報酬政策の決定について

 コーポレート・ガバナンス・システムに関する実務指針(CGSガイドライン)では、「報酬政策(業績連動報酬・自社株報酬を導入するか否かを含む)を検討するに際しては、まず経営戦略が存在する必要がある。その上で、経営戦略を踏まえて具体的な目標となる経営指標(KPI)を設定し、それを実現するためにどのような報酬体系がよいのか、という順番でストーリー性をもって検討していくことが重要である。」※4と指摘されており、役員報酬に関する定めの一つであるマルス・クローバック条項の導入に当たっても、自社の経営戦略を踏まえた上で、経営指標(KPI)や報酬政策の枠組みと統一的な内容となるように設計する必要があります。

(2) 会社における意思決定と役員との合意について

 マルス・クローバック条項は、報酬の返還等を内容とするものである以上、「報酬等の内容についての決定に関する重要な事項」に該当すると解され※5、報酬方針を構成するものとして、取締役会の決議によって定める必要があると解されます(会社法361条7項、会社法施行規則98条の5第8号)。

 また、役員の報酬について、最高裁は、定款又は株主総会の決議によって取締役の報酬額が具体的に定められた場合には、その報酬額は、会社と取締役間の契約内容となることから、当該取締役が同意しない限り報酬請求権は失われない旨判示しており※6、新たにマルス・クローバック条項を定め、又はその内容を変更する場合、その導入については、会社と個別の役員との間において明示的に合意を締結しておく必要があると考えられます。

 さらに、対象役員の予測可能性を確保する見地から、報酬契約・報酬に関する社内規程等で、マルス・クローバック条項を発動する基準をできるだけ具体的かつ明確に定めておくことが望ましいといえます。

(3) 法人税法上の取り扱いについて

 報酬の減額を行う場合、会社の税務処理上、損金処理できるかが問題となります。

 前提として、法人税法上、取締役、執行役、監査役は「役員」とされ(法人税法2条15号)、役員報酬は「給与」とされていますので、「給与」である役員報酬が、株主総会・取締役会の決定に基づき、1か月以下の定期で、かつその事業年度の間、同額で役員に支払われているときは、「定期同額給与」として、及び法令に定める要件を満たした業績連動報酬は「業績連動給与」として、会社はその額を損金に算入することができることになります。この点について、従来行われてきた役員の自主返納の場合は、「定期同額給与」を「改定」する会社の決定は行われていないため、役員が報酬の自主返納を申し出た場合でも、会社としてはそのまま自主返納前の金額を損金として算入できると解され、また、自主返納として返還を受けた分は、益金(「雑収入」)として算入されると解されています。

 マルス・クローバック条項の場合、クローバック条項については、報酬の返還は報酬支給後の新たな取引であると考えられるため、その発動による報酬の返還は、自主返納と同様に損金算入要件に影響せず、一方で役員から返還を受けた報酬は益金に算入されるものと考えられます。他方、マルス条項については、自主返納とは異なる取扱いとなる場合があると考えられます。まず、定期同額給与との関係では、国税庁は、役員給与を一時的に減額する理由が、企業秩序を維持して円滑な企業運営を図るため、あるいは法人の社会的評価への悪影響を避けるために、やむを得ず行われたものであり、かつ、その処分の内容が、その役員の行為に照らして社会通念上相当のものであると認められる場合は、減額された期間においても引き続き同額の定期給与の支給が行われているものとして取り扱って差し支えない(すなわち、支給された全額を損金算入できる)旨の見解を示しています※7。したがって、同見解に基づくと、定期同額給与に対してマルス条項を発動して減額した場合であっても、支払われた役員報酬額を損金算入する余地はあり得ると考えられます。また、業績連動給与については、不祥事等の非違行為を理由に役員の業績連動給与の一部を支給しない場合に、「その対象となる行為、減額する額又は割合などの算定方法をあらかじめ定めて開示していれば損金算入ができると考えられ」るものの、「非違行為があった場合にその責を負う役員の給与を減額又は支給しない旨のみをあらかじめ定めている場合には、その定めについて開示していたとしても、その対象となる行為や減額する額又は割合などの算定方法の内容が確認でき」ないため、当該非違行為の責任を負う役員の給与について業績連動給与として損金算入できない旨の見解が経済産業省から示されています※8。したがって、業績連動給与に対してマルス条項を発動した場合にも、役員報酬を損金算入することは可能であると考えられますが、その定め方によっては損金算入できない場合があり得ることにも留意が必要です。

まとめ

 マルス・クローバック条項は、不正防止等に関する役員のインセンティブを高める効果が期待できることから、ガバナンスの実効性確保の観点から、導入する実益があり得ると考えられます。もっとも、その導入に当たっては、上記で論じたとおり、自社の経営方針と報酬政策に照らした検討が必要になる上、法務、税務をはじめとする様々な論点が存在するため、専門家の助言を踏まえつつ、個別具体的な検討を行うことが重要です。

脚注一覧

※1
UK Corporate Governance Code January 2024 Section5–Remuneration Provisions 37及び同38

※2
横山淳(大和総研 金融調査部 主任研究員)/藤野大輝(大和総研 金融調査部 研究員)/矢田歌菜絵(大和総研 金融調査部 研究員)資料版商事法務 488号「日本企業の役員報酬に関する状況」16-17頁参照

※3
前掲注2の「日本企業の役員報酬に関する状況」によれば、東京証券取引所プライム市場上場会社の時価総額(2024年2月から4月に迎えた決算期末日時点)上位500社、スタンダード市場上場会社の時価総額上位200社、グロース市場上場会社の時価総額上位100社、計800社のうち調査対象期間中に上場廃止や有価証券報告書の提出遅延があった9社を除いた791社が調査対象会社とされています。

※4
経済産業省「コーポレート・ガバナンス・システムに関する実務指針(CGSガイドライン)2022年7月19日」36頁参照

※5
法務省民事局参事官室「会社法の改正に伴う法務省関係政令及び会社法施行規則等の改正に関する意見募集の結果について」26頁参照

※6
最判平成4年12月18日第二小法廷判決民集46巻9号
「定款又は株主総会の決議(株主総会において取締役報酬の総額を定め、取締役会において各取締役に対する配分を決議した場合を含む。)によって取締役の報酬額が具体的に定められた場合には、その報酬額は、会社と取締役間の契約内容となり、契約当事者である会社と取締役の双方を拘束するから、その後株主総会が当該取締役の報酬につきこれを無報酬とする旨の決議をしたとしても、当該取締役は、これに同意しない限り、右報酬の請求権を失うものではないと解するのが相当である。」

※7
国税庁「役員給与に関する質疑応答事例平成18年12月」問3参照

※8
経済産業省「『攻めの経営』を促す役員報酬-企業の持続的成長のためのインセンティブプラン導入の手引-」Q73参照

本ニュースレターは、各位のご参考のために一般的な情報を簡潔に提供することを目的としたものであり、当事務所の法的アドバイスを構成するものではありません。また見解に亘る部分は執筆者の個人的見解であり当事務所の見解ではありません。一般的情報としての性質上、法令の条文や出典の引用を意図的に省略している場合があります。個別具体的事案に係る問題については、必ず弁護士にご相談ください。


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