
松本渉 Wataru Matsumoto
パートナー
東京
NO&T Corporate Legal Update コーポレートニュースレター
昨今、海外M&A案件のみならず、国内M&A案件においても、表明保証保険(W&I insurance)の利用例が増加しています。
現在広く利用されている通常の伝統的な表明保証保険(以下、実務上、利用の大半を占める買主用を前提とします。)は、売主が買主にM&A契約上で表明保証を提供した場面において、買主が売主によるM&A契約上の表明保証の違反によって損害を被った際に、保険会社が買主に対し、保険契約に基づいて保険金を支払って買主の損害を填補するもので、M&Aにおける買主のリスクを低減させる点で有用なものです。
もっとも、通常の伝統的な表明保証保険は、あくまで、M&A契約に適切な表明保証条項が規定されていることを前提とする保険です。しかしながら、海外のM&A案件においては、売主が表明保証を提供しない場合にも、保険会社が一定の表明保証事項を対象として保険を提供するシンセティック表明保証保険(Synthetic W&I insurance)の利用が進み始めています。本ニュースレターでは、こうしたシンセティック表明保証保険の概要や利用局面・留意点を、通常の伝統的な表明保証保険と比較しつつ概観いたします。
シンセティック表明保証保険とは、売主がM&A契約上で表明保証すべき一定の項目を、保険会社が代替的に保証する仕組みです。具体的には、当事者間のM&A契約には表明保証条項を規定せず、他方で保険会社と買主間の保険契約(insurance policy)上に、擬似的な表明保証条項を設けて保険の対象とし、M&Aの実行後に当該表明保証事項が不正確であったことが判明した場合には保険会社が買主に対し、保険契約に基づいて保険金を支払うことで買主が被った損害を填補するという保険です。
完全なシンセティック表明保証保険の場合以外にも、M&A契約に一定の表明保証条項を定めつつ、保険契約においては当該M&A契約には規定されていない事項についても擬似的に表明保証保険の対象とする、partially syntheticという類型もあります。
シンセティック表明保証保険において保険の対象となる表明保証事項は、案件によってケースバイケースになりますが、買主側にとって表明保証を取得しておく必要が相対的に高い事項、例えば、契約締結権限、株式の所有権原、財務諸表の正確性、租税、重要な事業関連契約、不動産などが挙げられます。
シンセティック表明保証保険の買主側のメリットとしては、売主が買主に対し、契約において表明保証を提供する必要がないため、売主が表明保証を提供することに極めて消極的な状況や、提供することが不可能である状況のような、通常の表明保証保険の利用が困難な場面でも一定の表明保証を確保でき、取引リスクに対するプロテクションを得られるという点が挙げられます。
一方で、売主にとっても、完全なクリーンエグジットが前提となるような案件において買主側に一定のプロテクションを提供することができ、契約交渉がよりスムーズになるというメリットや取引成立の蓋然性が高まるというメリットがあります。
シンセティック表明保証保険は、上述のとおり、売主が買主に対し、契約において表明保証を提供する必要がないため、売主が表明保証を提供することに極めて消極的な状況や、提供することが不可能である場面、そもそも売主買主間にM&A契約がない場面での利用を想定することができ、具体的には以下のような場合が考えられます。
対象会社について法的整理手続が開始され、管財人等が選任されている場合において、当該会社又は事業の売却を目的としたM&Aが実施されることがあります。このようなDistressed M&Aの局面では、売主側が表明保証の提供に非常に消極的であり、あくまでas isでの売却しか認めないということがしばしば見られます。そのため、倒産企業のM&Aはリスクが高いと考えられがちであり、取引自体の成立が難しいか、又は大幅なディスカウントでの取引になるということがあります。しかし、そのような場合においてもシンセティック表明保証保険を利用することができれば、買主側は通常のM&A案件に近いプロテクションを得ることができますので、取引成立の可能性がより高まることが考えられます。
伝統的には、上場会社のM&Aにおいて表明保証保険の利用は難しいと考えられておりましたが、最近ではTOB案件などの上場会社M&Aにおいても表明保証保険の利用が進んでいます。その場合、誰が表明保証を提供するのかという点が一つの論点となり、例えば大株主・主要株主が応募契約を締結する場合には当該契約の中で表明保証条項を定めて対応したり、あるいは対象会社に表明保証をしてもらった上で表明保証保険を付保したりするといった工夫がなされています。しかし、そのような適切な表明保証提供者が見当たらない場合でも、シンセティック表明保証保険を利用することで、表明保証のプロテクションを得ることが期待できます。
海外では、上場会社のM&Aにおいて、売主側による表明保証を提供させることについて規制上消極的な法域もありますので※1、そのような場合にも、シンセティック表明保証が解決策となることも考えられます。
通常の表明保証保険においてもノン・リコース型と呼ばれる場合には、表明保証違反が発覚したとしても売主に対する補償請求を行うことができず、買主としては表明保証保険に基づく保険金の請求のみが救済手段となるというのが基本的な考え方です。しかしながら、売主として、そもそもM&A契約の中に表明保証条項を盛り込みたくない(あるいは、ごく限られた基礎的な表明保証条項のみを含めたい)という場合も考えられ、そのような場合にもシンセティック表明保証保険の利用が考えられます。例えば、ジョイントベンチャーのエグジットとして、JVパートナーに保有持分を売却するような場合などでは、売主側としてそもそも通常のM&Aと同様の表明保証条項を盛り込むこと自体に抵抗があるということが考えられます。
以下では、シンセティック表明保証保険の利用における留意点を、何点か取り上げます。
従前の実務においては、シンセティック表明保証保険では、M&A当事者が享受するメリットの反面、保険会社が引き受けることになるリスクが高くなるため、伝統的な表明保証保険よりも保険料が高額であると考えられていましたが、近年では、保険会社のノウハウも蓄積されつつあるため、両者のコスト差は縮小傾向にあると言われています。もっとも、この点はケースバイケースですので、実際の案件に基づく保険見積を早い段階で確認しておくのが望ましいといえます。
シンセティック表明保証保険は、上述のとおり疑似的な表明保証条項を保険契約に規定することで、売主が表明保証の提供者とならずとも表明保証保険の対象とできるため、売主側の負担を軽減する意味もあります。しかし、このことは、対象会社に対するデュー・デリジェンスのプロセスがより簡易なもので良いということを意味するわけではありません。むしろ、保険会社による保険引受可否やその範囲の判断では、依然として対象会社による情報開示やリスク度合に依拠することになるため、適切なデュー・デリジェンスの実施は、シンセティック表明保証保険においても前提となります。したがって、デュー・デリジェンスの負担を軽減することを目的に、シンセティック表明保証保険を利用することはできません。
通常の表明保証保険においては、ノン・リコース型であっても、売主の欺罔に基づく表明保証違反の場合には、依然として買主から売主に対して補償請求を行うことができ、かつ、この補償請求権を代位して保険会社から売主に対して求償がなされるという仕組みを規定することが一般的です。シンセティック表明保証保険が利用されるケースとして、こうした欺罔の場合の求償権をも負いたくないという売主側のニーズに基づく場合も考えられます。この点、シンセティック表明保証においては、売主が表明保証を提供していない以上、買主から売主に対する補償請求権やそれを前提とした保険会社の代位求償権は法的構成として成り立たないというのが一つの考え方であるように思われます。しかしながら、例えばデュー・デリジェンスの中で意図的に虚偽の情報を開示した場合など、売主の「欺罔」自体はシンセティック表明保証保険でも観念できますので、不法行為に基づく損害賠償義務などなんらかの責任を負う余地はあるように思われます。したがって、シンセティック表明保証保険であるからといって欺罔の場合も含めて完全に免責されるわけではないというのは認識しておくべきと思われます。
シンセティック表明保証保険は、欧米を中心に現在進行系で利用が増えてきているという状況で、今後利用場面が様々な取引に広がるとともに、日本においてもその利用が進むことが期待されます。一方で、日本でシンセティック表明保証保険を提供するには、商品認可との関係から、国内のディールであったとしても、海外の関係法人(持株会社等)を敢えて被保険者と設定し、海外で保険証券を発行する必要があるというのが現状です。日本においてもシンセティック表明保証保険に関する議論や許認可上の整理が進み、M&Aにおける課題解決の選択肢の一つとして利用が促進することが望まれます。本ニュースレターがシンセティック表明保証保険について理解を深める一助となれば幸いです。
※本ニュースレターの執筆にあたっては、エーオンジャパン株式会社の武知俊輔弁護士に貴重な助言を賜りました。この場を借りて感謝の意を申し上げます。なお、本ニュースレターに記載の内容はいかなる意味でもエーオンジャパン及びAonの公式な立場又は見解を表すものではない点ご留意ください。
※1
例えば、英国のTake Over CodeのRule 21.2においては、買付者が対象会社やその共同行動者との間で、offer-related arrangementを締結することを原則として禁じています。
本ニュースレターは、各位のご参考のために一般的な情報を簡潔に提供することを目的としたものであり、当事務所の法的アドバイスを構成するものではありません。また見解に亘る部分は執筆者の個人的見解であり当事務所の見解ではありません。一般的情報としての性質上、法令の条文や出典の引用を意図的に省略している場合があります。個別具体的事案に係る問題については、必ず弁護士にご相談ください。
松本渉、長野圭祐(共著)
山本匡
商事法務 (2025年10月)
長島・大野・常松法律事務所(編)、池田順一、松永隆之、鐘ヶ江洋祐、井本吉俊、山本匡、洞口信一郎、田中亮平、安西統裕、水越政輝、中所昌司、鍋島智彦、早川健、梶原啓、熊野完、一色健太、小西勇佑、高橋和磨、錦織麻衣、シェジャル・ヴェルマ(共著)、ラシミ・グローバー(執筆協力)
村瀬啓峻
松本渉、長野圭祐(共著)
山本匡
商事法務 (2025年10月)
長島・大野・常松法律事務所(編)、池田順一、松永隆之、鐘ヶ江洋祐、井本吉俊、山本匡、洞口信一郎、田中亮平、安西統裕、水越政輝、中所昌司、鍋島智彦、早川健、梶原啓、熊野完、一色健太、小西勇佑、高橋和磨、錦織麻衣、シェジャル・ヴェルマ(共著)、ラシミ・グローバー(執筆協力)
村瀬啓峻