
伊藤伸明 Nobuaki Ito
パートナー
東京
NO&T Competition Law Update 独占禁止法・競争法ニュースレター
近年、地球温暖化等に起因する気候変動問題に取り組むために、炭素中立(カーボン・ニュートラル)型社会の実現が世界的に目指されており、日本でも、2020年10月に、菅元総理大臣が2050年までにカーボン・ニュートラルを目指すことを宣言しました。国内外の企業においても炭素中立型社会の実現に向けた取組が加速度的に進んでいます。一方で、炭素中立型社会の実現に向けては、複数の企業が連携して取り組むことも想定されるところ、こうした連携(共同行為・企業結合)が競争法の規制対象となるのではないかとの懸念の声があります。このような状況の中、経済産業省は、本年3月に「グリーン社会の実現に向けた競争政策研究会」(以下、「本研究会」といいます。)を立ち上げ、炭素中立型社会の実現に向けた取組を後押しする上での競争政策上の論点を整理し、本年8月31日に報告書案(以下、「本報告書案」といいます。)を公表※1しました。本ニュースレターではその概要についてご説明します。
本報告書案の目次は以下の通りです。このうち、本ニュースレターでは、2. 参考となる主な海外動向、3. 各回ゲストの講演概要、及び4. 委員意見についてご紹介します※2。なお、4. 委員意見については、本報告書案には「※第5回研究会での意見・議論を踏まえ記載」とのみ記載されており、具体的な記載がないため、本ニュースレターでは第5回会合で議論されたポイントをいくつかご紹介します。
【目次】
第1回会合において、本研究会の事務局から、最近の欧州委員会・欧州各国の競争政策についての動向が示されました。その概要は、以下の通りです。
国・地域 | 各国の動向 |
---|---|
欧州委員会 |
【自動車メーカーによる技術カルテルの認定(従来通りの法執行)】
【水平的協力協定に関するガイドライン改正の動き】
|
オランダ |
【サステナビリティ合意に関するガイドラインの策定に向けた動き】
|
ドイツ |
【競争当局が禁止した企業結合計画を連邦経済エネルギー大臣が環境保護の観点を踏まえて覆した事例】
|
オーストリア |
【競争法改正】
|
ギリシャ |
【サンドボックス制度の導入に向けた動き】
|
第2回から第4回の会合において、国内外の有識者へのヒアリングが行われました。その概要は以下の通りです。
講演者 | 講演内容 |
---|---|
マウリッツ・ドールマンス弁護士(Cleary Gottlieb Steen & Hamilton法律事務所) |
(1) 脱炭素化にとっての障壁
消費者がサステナビリティのために環境に配慮した製品の費用・価格上昇分を支払う意思のない市場においては、どの企業も、市場シェアや利益を失いたくないという集団行動の問題により、市場の失敗が起きる。また、国レベルで見ても、どの国も他国より規制を厳しくして国益を損ないたくはないという集団行動の問題から、市場の失敗を規制のみによって十分に補うこともできない。そのため、企業間の協力が重要であるが、競争法は、こうした企業間の協力を禁止または抑制し得る。
(2) 脱炭素化に向けたEUによる競争政策見直しの取組
脱炭素化に向けたEUの競争政策見直しには2つの柱がある。1つめの柱は、グリーンウォッシュ※4や規制回避のための共謀に対して厳しい対応をとることである。2つめの柱は、サステナビリティの実現に向けた企業間連携へのサポートである。欧州委員会が発表した水平的協力協定ガイドラインの改正案において、TFEU第101条第1項の適用を免除する要件の1つとして、集団的利益を考慮した消費者への還元が示された。しかし、集団的利益を考慮できるのは、消費者と受益者が完全または実質的に重複する場合に限られるとされているが、妥当でない※5。
(3) 脱炭素化に向けた日本の競争政策への提言
ガイドラインを策定することは必要だが、法的不確実性が継続し、企業間の協力を抑制してしまうため、十分ではない。このため、以下の3点を提言する。
|
ディルク・ミデルシュルテ弁護士(ユニリーバ) |
(1) 脱炭素社会に向けた現在のEUの競争政策の問題点
脱炭素化は、個別企業の取組や規制だけでは不十分な未解決の市場の失敗であるため、集団的取組を行うことが重要な役割を果たす。欧州委員会が発表した水平的協力協定ガイドラインの改正案には新たにサステナビリティ協定の章が追加されたが、セーフハーバー規定の対象と集団的利益の対象が不明確であるなど様々な問題がある。また、新たなガイドライン案の下でも、消費者から見て価格上昇が生じる企業間の協力等が認められるかは不明瞭である。
(2) 脱炭素化に向けた日本の競争政策への提言
|
阿由葉真司氏(三菱総合研究所) |
(1) 気候変動問題
CO2排出量は年々増加し続けており、産業革命時と比べて1.5倍ほどになっている。気候変動は既に現実の問題であり、気象の激甚化やそれを抑制するための政策などを通じて、企業経営に大きな影響が生じることが想定される。
(2) カーボン・ニュートラルと産業・企業への影響
カーボン・ニュートラルを実現するためには、膨大な額の投資が必要。日本においても、鉄鋼・石油化学・自動車・石油等の排出削減困難部門には数兆円規模の投資が必要となり、個社では投資に踏み切れない可能性がある。政府や企業の対応が遅れる場合には、日本の国際的な産業・技術競争力の低下につながる懸念がある。
(3) まとめ
脱炭素社会への移行の動きを更に後押しするためにも、公的部門においては資金投入の他に、企業連携を促進する制度的措置の検討等、様々な政策支援が必要となる。 |
竹ヶ原啓介氏(株式会社日本政策投資銀行) |
(1) カーボン・ニュートラルに向けた時間軸の短縮
日本の2019年度の温室効果ガス総排出量は12億1200万トンであり、1990年からの30年間の削減率は5%程度。2050年にカーボン・ニュートラルを達成するには次の30年間でこの12億トンの排出量を実質ゼロにする必要がある。必要になる莫大な投資資金をいかに有利な条件で調達するかの獲得競争が起きている。
(2) 主流化するESG投資
2020年には、ESG投資が世界の総運用資産の36%に上っている。背景としては、リーマンショックを契機に過度の短期主義を修正し、企業の長期的な成長に着目し、これにコミットする長期投資家の重要性を再確認する動きがある。日本でも同様の観点からESG投資への置き換えが足元で急速に進展し、2015年の26兆円から2021年には500兆円を超えるなど、メインストリーム化しつつある。
(3) マテリアリティとしてのカーボン・ニュートラル
カーボン・ニュートラルを実現する上では、イノベーションが社会実装される前段階であるトランジション段階での資金調達をいかに支えるかが課題である。 |
第5回会合では、第2回から第4回までのヒアリング結果を踏まえ、報告書の取りまとめに向けて委員間で意見の交換が行われました。その概要は以下の通りです。
本研究会は第5回会合をもって終了し、近日中に正式な報告書が公表される見込みです。本研究会での指摘も踏まえ、日本でもサステナブルな取組に対する独占禁止法の適用に係る包括的なガイドライン等が策定される可能性もあり、今後の動向が注目されます。また、炭素中立型社会の実現に向けた取組が進められるなか、グリーンウォッシュや競争事業者間で脱炭素化に向けた開発競争を不当に制限するような合意については、各国の競争当局から厳しい法執行を受けるリスクがあるため、留意が必要と考えられます。
※2
本報告書案の内容をベースにしつつ、一部会合の議事録等の内容に基づいて補足しています。
※3
少なくとも5年間は合弁事業を運営すること、その間にドイツ国内において最低5000万ユーロ規模の投資を義務づけること等の条件が付されました。なお、日本では、公正取引委員会が企業結合を禁止する旨の判断(排除措置命令)をした場合に、裁判所が行政処分取消訴訟で取り消すことは可能ですが、経済産業省その他の行政機関が覆す制度はありません。
※4
実際には環境に十分配慮していないにもかかわらず、あたかも配慮しているかのようにみせかけること。
※5
本報告書案には記載されていませんが、ヒアリングにおいては、この規定によれば、例えば、欧州の消費者のために欧州の外でクリーンな方法を用いて生産される綿についての合意は、消費者と受益者が異なるため要件を満たさないこととなるといった問題意識が示されていました。
本ニュースレターは、各位のご参考のために一般的な情報を簡潔に提供することを目的としたものであり、当事務所の法的アドバイスを構成するものではありません。また見解に亘る部分は執筆者の個人的見解であり当事務所の見解ではありません。一般的情報としての性質上、法令の条文や出典の引用を意図的に省略している場合があります。個別具体的事案に係る問題については、必ず弁護士にご相談ください。
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