前川陽一 Yoichi Maekawa
カウンセル
ジャカルタ
NO&T Asia Legal Update アジア最新法律情報
本年1月より、ジャカルタ・オフィスに常駐して執務を開始いたしました。
当事務所は、昨年2月からIM & Partners in association with Nagashima Ohno & Tsunematsuとして、ジャカルタにおいて業務を開始しておりましたが、このたび、日本弁護士1名、インドネシア弁護士2名が常駐する態勢となりました。また、シンガポール・オフィスにも、現在、さらに2名のインドネシア弁護士が執務しているほか、ジャカルタでの駐在経験を通じてインドネシア法務に豊富な経験を有する日本弁護士を擁しております。
今後も、インドネシアでの現地対応を求められる業務において、より機動的かつきめ細やかな法務サービスを提供してまいります。
長島・大野・常松法律事務所
弁護士 前川 陽一
(*提携事務所)
混迷する国際情勢の中にあって、2024年は、4年に1度の米大統領選挙の帰趨に注目が集まっているが、グローバルサウスの一角を占めるインドネシアにおいても、5年に1度の大統領選挙が実施される年である。2期10年を務める現職のジョコ・ウィドド(通称「ジョコウィ」)大統領は、憲法の規定により3選が禁じられている。そのため、後任の大統領にどのような人物が就任するか、ジョコウィ大統領の政策が承継されるか否かは、インドネシア国民だけでなく、インドネシアと関係を有する全ての国や企業にとっても重要な関心事と言える。
大統領選挙の候補者の公示日が近づく2023年10月16日、正副大統領候補者の資格要件に関して重要な判決が憲法裁判所において言い渡された。正副大統領への立候補要件を満40歳以上とする総選挙法の規定について、地方自治体の首長等の公職者及びその経験者はかかる年齢制限の対象外とするというものである。この判断は、事実上、ジョコウィ大統領の長男でスラカルタ市長のギブラン・ラカブミン・ラカ氏(36歳)の出馬に道を拓くものとなったため、その妥当性に関して議論を呼んでいる。
この判決を巡っては、憲法裁判所長官がジョコウィ大統領の縁者であること等政治的な背景事情について多くの報道がなされているところである。本稿では、インドネシアにおける憲法裁判所の法的権限の観点から本判決を見ていくこととしたい。
スラカルタ市在住の大学生である申立人(23歳)は、正副大統領への立候補要件を満40歳以上とする総選挙法第169条(q)の規定(以下「本件年齢制限規定」という。)について、憲法第27条第1項(全て国民は、法の下に平等な地位を有する。)、第28D条第1項(何人も法の下で平等な取扱いを求める権利を有する。)及び同条第3項(全て国民は、統治に関し平等の機会を得る権利を有する。)に反し、同人の憲法上の権利利益を侵害すると主張して、憲法裁判所に違憲審査請求を提起した。
この申立てに対して憲法裁判所は、おおむね次のとおり判示し、申立人の請求を一部認容した。
その結果、満40歳に満たなくとも、選挙を通じて選ばれた州知事、市長、国会議員等の公職の現職者又はその経験者であれば、2024年の大統領選挙において、正副大統領の候補者として立候補できることとなった。
インドネシアは、大統領(執行府)、国会(立法府)、裁判所(司法府)が独立して互いに権力の行使を牽制する三権分立の統治制度を採用している。三権分立制度を前提として、憲法裁判所は、法律が憲法に適合しているかどうかを審査する特別の裁判所であり、最高裁判所を頂点とする裁判所の系列からは独立した司法機関として第3次憲法改正(2001年)により新たに設置された。その権限の範囲は、法律の違憲審査のほか、政府機関の間の権限に関する紛争、政党の解散、選挙結果に関する紛争、国会による正副大統領の罷免決議に対する審査に及び、これらの事件について初審かつ最終審として裁判を行い、その判断は終局的なものである。憲法裁判所により違憲とされた法律の条項は、将来に向かってその効力を失う。
憲法裁判所は、9名の判事で構成され、最高裁判所、国会及び大統領がそれぞれ3名を指名し、大統領が任命する。判決において、全員一致の意見に達しなかった場合には、単純多数の意見が憲法裁判所の判決となる。
特定の法律により憲法上の権利利益を侵害されたと考えるインドネシア国民、慣習法上の共同体、法人及び政府機関は、憲法裁判所に対して当該法律の違憲審査を請求することができる。インドネシアにおいて違憲審査請求は活発に利用されており、憲法裁判所としても違憲判決を出すことに積極的な態度をとっている。最近では2021年に、前年に成立した雇用創出法(いわゆる「オムニバス法」)について、その制定過程に手続上の瑕疵があったとして、2年以内に瑕疵が是正されなければ効力を失う旨の判決がなされた(NO&T Asia Legal Update No.105「オムニバス法の制定(その7)~不動産法制の主要なアップデートと条件付き違憲判決」参照)。
他方で、憲法裁判所の判断が及ぼす政治的影響力の大きさのため、汚職の舞台ともなってきた。2014年には、当時の憲法裁判所長官が地方自治体首長選挙の結果に係る不服申立審査事件に関連して賄賂を受け取っていたことを理由として終身刑に処せられた。また、2017年には、当時の憲法裁判所判事が家畜業法に係る違憲審査請求に関連して関係者から賄賂を受け取ったとして汚職撲滅委員会に逮捕され、有罪が確定した。
本判決に対しては4名の裁判官が反対意見を述べ、諸々の問題点を指摘している。本稿では、憲法裁判所の法的権限の見地から疑問点を2点取り上げたい。
本件年齢制限規定に対しては、本件の申立て以外にも複数の申立人により同種の請求がされていた。直近の同種事案3件に対して憲法裁判所は、本件年齢制限規定は立法府の権限に属する旨を述べた上で、いずれも請求を棄却している。にもかかわらず、請求内容に大差ない本件に対して一部認容判決を下しており、反対意見はかかる不整合の非合理性を批判する。
この点について多数意見は、立法府の権限に属する事項であっても、立法が倫理や合理性に反し、耐えがたい不正義をもたらしているときは、違憲審査の対象となる旨述べる。しかし、本件と直近の同種事案はいずれもほぼ同時期に提起され、審理されており、しかも同じ日において判決言渡しがなされている。反対意見も指摘するように、これだけの短期間に憲法裁判所が判断を変更しなければならなかった十分な理由があるとは思われない。
違憲審査請求に対する判決の種類は、合憲判決、違憲判決、又は条件付きの違憲判決に分類できる。
本判決は、本件年齢制限規定について「満40歳以上の者又は地方自治体の首長選挙その他の総選挙で選出された公職者若しくはそれらの経験者」と解釈されなければ違憲と判示していることから、形式的には条件付きの違憲判決の類型に属するものである。しかし、本判決により補充された解釈部分は、公職への選出とその経験という年齢制限とは一見無関係な事項に関するものであり、単なる条件付けというより、むしろ新たな規範を定立している。本判決は、三権分立を採用するインドネシア憲法の下で、憲法裁判所が判決を通じて実質的な立法作用を行うことが憲法適合的かという問題をはらんでいる。この点について、反対意見は、本件年齢制限規定といった公職への立候補に係る資格要件の見直しは、立法のメカニズムを通じて行うべきもので、そもそも憲法裁判所の判断の対象とすべきものではなかったと批判する。
本判決の後、次期大統領候補者の一人であるプラボウォ・スビアント国防大臣は、ジョコウィ大統領の長男で36歳のギブラン・スラカルタ市長をランニングメイトである副大統領候補として立候補を届け出た。
本判決を主導したアンワル・ウスマン憲法裁判所長官は、2023年11月7日、憲法裁判所の名誉評議会により長官職を解かれた(但し、判事としては引き続き在職している。)。本判決に関して重大な倫理違反があったことを認定した結果ではあるが、憲法裁判所の判断は憲法により終局的なものとされている以上、本判決の効力が覆ることはない。
物議を醸した本判決の後に行われた世論調査でも、プラボウォ=ギブランのペアは高い支持率を誇り、他の候補者をリードしている。本判決の背景を巡って様々な憶測が流れているようだが、現職のジョコウィ大統領に対する一般国民の支持はいまだ健在である。
大統領選挙は、ガンジャル=マフッド・ペア、アニス=ムハイミン・ペア、そしてプラボウォ=ギブラン・ペアによる三つ巴の戦いが繰り広げられ、2024年2月14日に投票日を迎える。
本ニュースレターは、各位のご参考のために一般的な情報を簡潔に提供することを目的としたものであり、当事務所の法的アドバイスを構成するものではありません。また見解に亘る部分は執筆者の個人的見解であり当事務所の見解ではありません。一般的情報としての性質上、法令の条文や出典の引用を意図的に省略している場合があります。個別具体的事案に係る問題については、必ず弁護士にご相談ください。
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