
金田聡 Satoshi Kaneda
アソシエイト
シンガポール
NO&T Asia Legal Update アジア最新法律情報
被用者への競業避止義務は、Non-Compete Clause(シンガポールではRestraint of Trade Clauseの一分類)とも呼ばれ、一般に、雇用期間中又は雇用契約の終了後における当該被用者の競合他社への転職などの行為を制限することを目的として雇用契約中に規定されることが多く、シンガポールも例外ではない。
かかる競業避止義務については、2023年1月に、米国の連邦取引委員会(FTC)が、使用者が被用者に競業避止義務を課すことを禁止する新たな規則を提案したことが世界的にも注目を集めたが(当該規則案についてはNO&T Competition Law Update No.17参照)、シンガポールにおいては、2023年4月に、労務事項の所管官庁であるMinistry of Manpower(MOM)が、被用者への競業避止義務の取扱いに係るガイドラインの策定を検討中である旨を公表したことから、議論の動向が注視されているところである。
そのような中、シンガポールでは、2024年1月に、東南アジアを中心としてEコマースプラットフォームを運営する大手企業であるShopeeが、雇用契約終了後の競業避止義務違反を理由として元従業員に対して提起した裁判において、Shopeeの主張を退ける第一審判決(Shopee判決)が下された。本稿では、かかる判決の概要を紹介するとともに、MOMによる新たなガイドラインを含めた今後の議論の展望に触れることとしたい。
Shopee判決に触れる前に、競業避止義務の有効性について、日本法上は、特に退職後の競業避止義務について、競業制限の期間、場所的範囲、制限対象となる職種の範囲、代償の有無等に鑑みて、競業の制限が合理的範囲を超える場合には無効とするという考え方が定着しているところであるが、シンガポールにおいても概ね同様であり、以下の両要件を満たす場合にのみ有効・執行可能とされている。
このうち、②Reasonablenessの要件に関して、シンガポールの裁判所は、(i)制限の対象となる行為の範囲、(ii)制限の期間、及び(iii)地理的範囲といった要素を通常は考慮している。使用者が被用者による競業避止義務違反を主張する場合、当該競業避止義務条項が上記の両要件を満たす有効なものであること及び被用者が当該条項に違反したことを立証する責任を負う。
この裁判においては、原告であるShopeeが、被告である元従業員(2015年8月から2023年8月までShopeeに在籍)が、2023年9月から、同月にEコマースプラットフォームであるTikTok Shopを新規に立ち上げたByteDanceに転職したことを理由として、競業避止義務違反を主張した。
原告と被告は、2015年8月の雇用開始時にRestrictive Covenants Agreement(RCA)を締結しており、RCA上、退職後12か月の間、所定の制限地域(Restricted Territories)において競合他社(Competitor)への転職その他競合他社との事業活動を禁止する競業避止義務が規定されていた(本競業避止義務条項)。なお、上記の「競合他社」は、RCA上、大要、「制限地域」(=当該従業員が職責を負う又は機密情報に接する地域)において、Shopeeグループが行う事業活動のうち当該従業員が退職前の12か月間に従事した業務と同種の業務を行う者と定義されている。
裁判において、当該競業避止義務条項の有効性、及び、(有効な場合)被告が同条項に違反したか否かが主な争点となる中、Shopeeは、(当該各争点に関する他の主張と併せて、)被告がByteDanceにおいて果たしている職責は、Shopeeにおける過去の職責と類似するため、被告は本競業避止義務条項に違反する旨の主張を行った。
これに対して、被告は以下のように反論して、自らのShopeeにおける担当業務の内容及び地理的範囲はByteDanceにおけるそれらとは異なるため、被告は本競業避止義務条項に違反しない旨の主張を行った。
Shopeeは、上記の被告の反論に対して、被告はShopee Brazilにいながらも他の海外オペレーションについても管理職としての職責を負っており、また、ブラジル以外の国に係る機密情報にも接していた旨を主張した。
しかし、裁判所は、最終的に、被告が職責を負っていなかった市場にまで競業避止義務の地理的範囲が及ぶこととの関係で、競業避止義務の適用範囲の合理性(上記要件②)に疑義が残ることを一つの理由として挙げた上で、Shopeeによる訴えを退けた(上記要件①との関係でも、本件では正当な利益の存在について疑義が残る旨が併せて指摘されている。)。判決文においては、本競業避止義務条項のように、機密情報に接している地域を制限地域に含める場合、上記のShopeeの主張のように機密情報に接していることのみを理由として、当該従業員が実際に業務を行っておらず、職責も負っていないにもかかわらず、Shopeeが事業運営を行う全市場が制限地域と判断されるおそれがあること及びその合理性について、裁判官の強い疑義が示されている。
Shopee判決は、本競業避止義務条項の有効性について、上記①及び②の要件に沿って(また、②の要件については上記(i)(ii)(iii)の要素を考慮して)判断しており、その意味で、シンガポールの裁判所による従前の判断枠組みに従ったものと整理できる。
もっとも、Shopee判決において判示された内容を踏まえれば、競業避止義務条項が有効と判断されるためには、従業員の個別具体的な役職・従事する職務の内容に照らして、制限対象行為・期間・地理的範囲が適切に限定されたものである必要がある。
上記のとおり、被用者への競業避止義務に関しては、現在、MOMがその取扱いに係るガイドラインの策定に向けて作業を進めており、MOMによれば、2024年下半期の公表を目指しているようである。また、MOMは、一般論として、競業避止義務条項は、使用者の事業上の利益を保護するために真に必要な場合にのみ許容されるべきであること、及び、そのような使用者側の必要性と被用者側の自由とが均衡している必要があり、使用者側を不当に利する目的で用いられてはならないことを述べている。
当該ガイドラインによって競業避止義務条項の許容性にどのような影響があるかという点については、MOMが、賃金の高いポジションについては使用者の正当な事業上の利益に実質的に関与する可能性がより高いため、賃金の低いポジションに比べて、一般的には競業避止義務等を規定する必要性がより認められる可能性があると述べていることも参考になる。これに照らすと、賃金の低いポジションについては、競業避止義務のような制限が当該従業員の生活に及ぼす影響も大きいことを踏まえ、従前に比して合理性がより厳格に判断される可能性も否定できない。いずれにせよ、当該ガイドラインについては、外延が必ずしも明確ではない競業避止義務の有効性に関して、よりクリアな基準を提示することが期待されている。
冒頭に述べたとおり、被用者への競業避止義務は、実務上広く用いられているものであり、かかる義務の有効性・許容される範囲に関する議論の動向は、シンガポールでビジネスを行う日本企業との関係でも、実務に一定の影響を及ぼす可能性がある。今後公表が予定されているMOMのガイドラインの内容を含め、このニュースレターでも最新情報をフォローしていく予定である。
本ニュースレターは、各位のご参考のために一般的な情報を簡潔に提供することを目的としたものであり、当事務所の法的アドバイスを構成するものではありません。また見解に亘る部分は執筆者の個人的見解であり当事務所の見解ではありません。一般的情報としての性質上、法令の条文や出典の引用を意図的に省略している場合があります。個別具体的事案に係る問題については、必ず弁護士にご相談ください。
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