
村瀬啓峻 Hirotaka Murase
アソシエイト
バンコク
NO&T Asia Legal Update アジア最新法律情報
近年、多くの日系企業において事業ポートフォリオの見直しが活発化し、それに伴い事業再編が進められている。事業再編の手段としては、実務上、事業の一部を売却するM&A取引、いわゆるカーブアウトM&Aが用いられることがある。製造業を中心に、多くの日系企業がタイに子会社を有しているが、タイに子会社を有する日本の親会社が事業ポートフォリオを見直し、カーブアウトM&Aを実施する場合には、それに連動して、タイ子会社の一部の事業が売却対象となるケースも少なくない。タイにおけるカーブアウトM&Aに際しては、日本におけるカーブアウトM&Aとは異なる観点からの検討が必要となる。本稿では、タイにおけるカーブアウトM&Aにあたっての実務上の留意点を概観する。
カーブアウトM&Aの法的ストラクチャーとして、日本においては、会社分割が選択されるケースが多い。しかし、タイ法には会社分割の制度は存在しない。そのため、タイにおけるカーブアウトM&Aでは、事業譲渡が一般的かつ実務上、唯一の手段となる。会社分割は包括承継を許容する制度であるが、事業譲渡は個別承継が前提となっており、資産、負債、契約、許認可、従業員等を個別に承継する必要がある。その際、契約相手方や従業員等の個別の同意が必要となる。日本の会社法とは異なり、事業譲渡に関して具体的な手続は、タイ法上、規定されていない。また、事業譲渡に必要な機関決定についても法定されていない。定款に事業譲渡に関して規定されている場合には、それに従うことになるが、定款に規定されていない場合でも、実務上は、取引規模、社内規程、慣習等に照らして、譲渡会社及び譲受会社のそれぞれにおいて取締役会決議を行うことが多い。さらに、ベストプラクティスとして、当事会社それぞれで株主総会決議を行うケースも見られる。
タイで事業譲渡によるカーブアウトを行う場合、受皿となる会社を新規に設立し、その新会社にカーブアウト対象事業を譲渡するのが一般的である。新会社を設立する際には、事業譲渡を見据えて、新会社の資本金を決定する必要がある。すなわち、新会社がタイ投資委員会による投資奨励やその他の許認可を取得又は承継する場合には、各許認可において求められる最低資本金要件を充足する必要がある。また、新会社は、譲渡会社に対して事業譲渡の対価を支払う必要があるため、事業譲渡の対価の原資を新会社へ資金注入する方法も考慮の上、新会社の資本金を決定する必要がある。
なお、日系企業によるグローバルなカーブアウトM&Aにおいては、親会社である日系企業が売主となり、買主と最終契約を締結するケースが多い。スキーム次第であるものの、日本で新設される会社にカーブアウト対象事業が集約され、日本における新設会社がタイの新会社の株主になることがある。当該最終契約においては、日本の新設会社の株式が売主から買主に譲渡され、タイ子会社の事業譲渡は、当該株式譲渡のクロージング前のコベナンツ及びクロージングの前提条件として位置付けられる場合もある。
前述のとおり、事業譲渡においては、資産、負債、契約、許認可、従業員等を個別に承継する必要がある。以下、実務上問題になることが多い、タイ法上特有の論点を中心に、契約、許認可及び従業員の承継に関して敷衍する。
契約がカーブアウト対象事業に専属する場合、契約の承継は、ノベーション(タイ民商法第349条)によって行うのが一般的である。ノベーションとは、契約相手方、譲渡会社及び譲受会社の三者間で締結される契約であり、当該契約において、当事者の更改、すなわち、契約上の地位を譲渡会社から譲受会社に承継することが合意される。これにより、譲受会社は譲渡会社の契約上の地位を承継し、当該契約に基づく譲渡会社の権利義務を引き継ぐこととなる。他方、ノベーションではなく、契約相手方と譲渡会社の既存契約を終了させ、譲受会社が当該契約と同様の新たな契約を契約相手方と締結するアレンジが採られることもある。
他の事業とカーブアウト対象事業が一つの契約を共用している場合、カーブアウト対象事業に関して一部ノベーションを行うことも理論上・実務上あり得る。しかし、実務的にはよりシンプルな対応として、契約相手方と譲渡会社の既存契約を必要な範囲で修正し、譲受会社が当該契約と同様の新たな契約を契約相手方と締結することが多いように思われる。
許認可の承継にあたっては、まず、カーブアウト対象事業が保有する許認可を特定した上で、承継可能性を検討することとなる。承継不可の場合には、譲受会社が当該許認可を新規取得する必要がある。承継可能か否かは個々の許認可による。
典型的には、譲渡会社が保有しているタイ投資委員会の投資奨励(BOI投資奨励)や、譲渡会社が外国人事業法上の外資ステータス※1の場合におけるForeign Business License(FBL)又はForeign Business Certificate(FBC)の取扱いが問題となる。
BOI投資奨励は譲渡可能であり、他の事業と共用している場合には一部承継も可能である。一方で、FBL及びFBCは譲渡不可であるため、譲受会社において再取得が必要となる。FBLの取得に際しての当局の審査期間は原則60日であるが、申請準備等の期間も考慮して、4~6か月程度を見込んでおくケースが多いと思われる。そのため、タイの事業譲渡が最終契約においてクロージング前のコベナンツ及びクロージングの前提条件として定められている場合には、当該期間を考慮した上で全体のクロージング時期を決定する必要がある。また、受皿となる新会社を早期に設立し、FBLの申請を速やかに行う等の工夫も求められる。許認可に係る手続は、取引当事者間でコントロールが難しく、クロージングを妨げる最たる理由となり得るため、細心の注意を払う必要がある。
従業員を譲渡会社から譲受会社に移管する場合※2、各従業員からの個別同意が必要である。タイ法においては、継続勤務期間に応じて解雇補償金※3の額が決まるため、従業員を移管する際には、移管時に譲渡会社において解雇補償金の払い出しを行うかが論点になることが多い。換言すれば、譲受会社において対象従業員の移管前の勤続年数を承継するかが論点になる。具体的な状況にもよるものの、カーブアウト時のキャッシュの流出を避ける観点から、移管時に払い出しを行わず、移管前後の勤続年数を通算することを条件に従業員から同意を取る方法を採用することが、比較的多いと思われる。もっとも、従業員が移管に同意する前提として、移転日までの勤続年数に対応する解雇補償金の支給を求める場合もあり得る。その場合は、解雇補償金の払い出しも検討する必要がある。
移管に同意しない従業員が存在する場合、譲渡会社は、当該従業員の解雇を検討することがある。その際には、解雇の有効性が問題となり得る。タイ法上、解雇には「公正」な理由が必要とされ、労働裁判所は公正性を従業員に有利に厳格に解釈する傾向がある。そのため、事業譲渡に伴う移管を拒否した従業員の解雇であっても、不公正とみなされる可能性がある。裁判所が解雇を不公正と判断した場合、復職を命じられることもあるが、多くの場合は追加の補償金の支払いを求められることになる。したがって、移管対象従業員が移管に同意しない場合、上記の訴訟リスクを回避するため、一方的な解雇ではなく、退職について当該従業員の同意を得た上で進めることを検討すべきである。この場合、従業員の同意を得るために、法定の解雇補償金及び未消化年次有給休暇相当分の賃金に加え、一定額の上乗せ支給をオファーすることも検討される。合意退職の手続は特に法定されていないが、従業員からの提訴を避ける観点から、退職合意書を慎重に作成する必要がある。
カーブアウトM&Aの特徴として、スタンドアローンイシュー、すなわち、カーブアウト対象事業が譲渡会社から離脱することで、カーブアウト対象事業の運営に必要な社内サービスの提供を受けられなくなる問題が発生することが挙げられる。これに対する対応策として、譲渡会社及び譲受会社間でトランジショナル・サービス契約を締結し、譲渡会社から譲受会社に対して、カーブアウト対象事業の運営に必要なサービス(トランジショナル・サービス)が提供されることがある。もっとも、譲渡会社が外資ステータスの会社である場合には注意が必要である。外国人事業法上、外資規制の対象は広範であり、「その他サービス」(外国人事業法別表3の第21項)も外資規制の対象となっている。個々のトランジショナル・サービスの内容によるものの、一般的には、譲渡会社から譲受会社へのトランジショナル・サービスは「その他サービス」に該当し、FBLの取得なしに提供することはできないと考えられる。したがって、例えば、譲渡会社がトランジショナル・サービス契約を通じて譲受会社にバックオフィス支援等の一定のサービスを提供する場合には、サービス開始前に譲渡会社はFBLを取得する必要がある。FBLの取得の可否及び難易度は、サービスの内容、量、期間及び必要性、サービス提供者とサービス受領者との関係性等の諸般の事情により異なるので、当局への相談を含め、早期に対応することが肝要である。また、この点は最終契約におけるクロージングのタイミングにも影響するため、留意する必要がある。なお、スタンドアローンイシューに対応するため、譲渡会社から譲受会社に対して土地・建物の賃貸が行われることもある。土地・建物の賃貸借も「その他サービス」に該当し、トランジショナル・サービスと同様の問題が生じる点にも留意が必要である。
以上のとおり、タイにおけるカーブアウトM&Aは、日本のカーブアウトM&Aとは異なる法的・実務的制約を伴う点に留意する必要がある。タイでのカーブアウトM&Aを円滑に進めるためには、各種承継手続の適切な計画、許認可取得スケジュールの調整、従業員対応策の事前準備、トランジショナル・サービスに起因する外資規制の把握等が不可欠である。これらを総合的に管理することにより、カーブアウトM&Aの成功可能性を高めることが可能と思われる。なお、本稿では言及していないが、タイにおけるカーブアウトM&Aにあたって、タイ競争法に基づく届出等が必要な場合もあるため、留意が必要である。
※1
外国人事業法の「外国人」とは、以下のいずれかの者と定義されている(外国人事業法4条)。
※2
移管方法としては、契約の承継と同様に、(i)既存の雇用契約を譲渡会社から譲受会社に(ノベーションにより)承継する方法及び(ii)譲渡会社との既存の雇用契約を終了させ、譲受会社と新たに雇用契約を締結する方法が考えられる。
※3
解雇補償金の額は、労働者保護法上、解雇対象従業員の勤続年数に応じて以下のとおり定められている。従業員が定年退職する際にも解雇補償金が支払われる。また、譲渡会社が雇用契約を終了させる場合には、解雇補償金の支払いの他、未消化の年次有給休暇の買い取りも必要である。
継続勤務期間 | 解雇補償金 |
---|---|
120日以上1年未満 | 賃金の30日分以上 |
1年以上3年未満 | 賃金の90日分以上 |
3年以上6年未満 | 賃金の180日分以上 |
6年以上10年未満 | 賃金の240日分以上 |
10年以上 | 賃金の300日分以上 |
20年以上 | 賃金の400日分以上 |
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