
クレア・チョン Claire Chong
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シンガポール
NO&T Dispute Resolution Update 紛争解決ニュースレター
本ニュースレターは、「全文ダウンロード(PDF)」より日英併記にてご覧いただけます。シンガポール・オフィスの紛争解決チームについてPDF内にてご紹介しております。
訴訟差止命令(Anti-suit injunctions:ASI)は、国際的な紛争の解決における重要な手段である。訴訟差止命令の主な機能は、仲裁合意の履行を強制し、当事者が当該合意に反し、外国の裁判手続で救済を求めることを制限することにある。
近時、シンガポール国際商事裁判所(SICC)は、Cooperativa Muratori and Cementisti – CMC di Ravenna, Italy v Department of Water Supply & Sewerage Management, Kathmandu and other [2025] SGHC(I) 16(以下「本決定」という。)において、外国の国家関係組織に対する訴訟差止命令の申立てについて検討した。
本件は、契約に基づく訴訟差止命令の要件、及び国家又は国家関係組織に対する訴訟差止命令が求められた場合の主権免除の原則の適用に関する問題を提起した。
原告であるCooperativa Muratori and Cementisti – CMC di Ravenna, Italy(以下「CMC」という。)は、第二被告であるMelamchi Water Supply Development Board(以下「MB」という。)との間で、ネパール・カトマンズ盆地の慢性的な水不足を緩和するプロジェクトにおける建設業務の実施に関する契約を締結した。MBは、同プロジェクトの実行機関としてネパール政府によって設立された。
CMCとMB間の契約では、紛争解決をシンガポール国際仲裁センター(以下「SIAC」という。)を仲裁機関とする仲裁に付託し、SIAC仲裁規則に従うこと、またシンガポールを「仲裁を行う場所(place of arbitration)」とすることを定めていた。
その後CMCは契約を解除し、被告らに対しSIAC仲裁を提起した。争点の1つは仲裁地であり、CMCはシンガポールと主張したのに対し、MBはネパールと主張した。仲裁廷は仲裁地がシンガポールであると決定した(以下「仲裁地決定」という。)。これを受けMBは、ネパールの裁判所に仲裁地決定の取消を申し立てた(以下「本件取消申立て」という。)。これに対し、CMCは、MBによる本件取消申立ての訴訟を差し止める命令(ASI)をシンガポールの裁判所に申し立てた。
裁判所はCMCの申立てを認め、MBが1979年国家免除法(以下「国家免除法」という。)に基づくシンガポールの裁判所の管轄権からの免除を享受しないとの判断を示した。
CMCの申立てに適用される要件の判断のため、裁判所はまず訴訟差止命令を、(i) 仲裁合意又は管轄条項に違反して追行される外国の手続を差し止める、契約に基づく訴訟差止命令と、(ii) シンガポール裁判所の手続、管轄若しくは判断を不当に妨害する、又は悪意のある行為となる外国手続の追行を差し止める、契約に基づかない訴訟差止命令の2つに分類した。
裁判所はさらに、契約に基づく訴訟差止命令を認めるには、 (i) 被告が当該裁判所の管轄権に服すること、(ii) 外国手続が当事者間の仲裁合意又は専属管轄条項に違反すること、(iii) 当事者の合意の履行を拒否する強力な理由が存在しないこと、の3つの要件が満たされる必要があると明示した。
裁判所は、本件取消申立ての訴訟を差し止めるため、CMCが申し立てた契約に基づく訴訟差止命令については、上記の3要件全てが満たされていると判断した。
すなわち、裁判所は、第一に、契約上シンガポールを「仲裁を行う場所(place of arbitration)」と指定したことは、明示的又は黙示的にシンガポールを仲裁地(seat of arbitration)とする合意を構成し、当該合意によって、MBは、シンガポール裁判所の監督的管轄権に服したものと認定した。第二に、仲裁合意によって、MBには、仲裁地であるシンガポールの裁判所以外では、仲裁地決定に不服申立てを行わないという消極的義務が生じていると判断した。そのため、MBの本件取消申立ては、上記義務に明らかに違反しており、強力な反対の理由がない限り、裁判所は訴訟差止命令を認め、仮の差止を行うべきであると判断した。第三に、裁判所は、訴訟差止命令の申立てについて、CMCの側に、訴訟差止命令の決定に不利に働くような不合理な遅延は認められないと評価した。
裁判所はさらに、ネパール政府に関係する団体であるMBが、裁判所の管轄権から主権免除を受ける資格がある(ため、MBに対して訴訟差止命令を発出できない)と言えるかどうかを検討した。この問題はCMCやMBから提起されていなかったが、裁判所は国家免除法第3条第(2)項に基づき、自らこれを審理せざるを得ないと判断した。
裁判所は、出発点として、国家免除法における裁判所の裁判管轄権からの免除(以下「裁判権免除」という。)と執行管轄権からの免除(以下「執行免除」という。)の区別を指摘した。
裁判権免除に関しては、国家が、発生した又は発生する可能性のある紛争を仲裁に付託することに書面で合意した場合に適用される例外規定として、国家免除法第11条第(1)項が存在する。当該条項によれば、国家は仲裁に関連するシンガポール裁判所の手続から免除されない。
裁判所は、MBがシンガポール裁判所の管轄権に服することを合意していたとの前記の判断を踏まえると、国家免除法第11条第(1)項に基づく裁判権免除の例外が明らかに適用されると判断した。
執行免除(仲裁合意の履行のための訴訟差止命令の発付の免除を含む。)に関しては、MBは事実上「独立した法人」であり、国家免除法第16条第(1)項の「政府の部局(department of government)」に該当しないため、当該免除を享受しないと裁判所は判断した。裁判所の判断の決め手は、争いになった契約が、執行免除の対象となり得る主権的権限の行使ではなく、サービスの提供を伴う商業取引であったという事実にあった。さらに、MBはネパール法に基づき構成・承認された法人格を有し、不動産・動産の取引・保有権限を有しており、訴訟を提起し又は提起されることが可能であった。これらの特徴から、MBは国家免除法に基づく免責を享受する「政府の部局」に該当しないと判断された。
したがって、裁判所は、国家(政府部門を含む。)に対する訴訟差止命令の発付を禁じる国家免除法第15条第(2)項は適用されないと判断した。
本決定におけるSICCの判断は、仲裁合意の履行のため、契約に基づく訴訟差止命令の要件について明快な説明を提供したものであり、仲裁を推進するシンガポール裁判所の姿勢と合致するものである。
さらに、SICCが強調したように、シンガポール裁判所において国家又は国家関係組織に対する差止命令を求める当事者は、主権免除に関して生じ得る問題について、積極的に裁判所に対する注意喚起を行い、確実に検討されるようにすべきである。なぜなら、主権免除の問題は、当該事件における救済の可否に影響するだけでなく、国際礼譲や国家主権といった重要な事項にも広範な影響を及ぼすためである。
本ニュースレターは、各位のご参考のために一般的な情報を簡潔に提供することを目的としたものであり、当事務所の法的アドバイスを構成するものではありません。また見解に亘る部分は執筆者の個人的見解であり当事務所の見解ではありません。一般的情報としての性質上、法令の条文や出典の引用を意図的に省略している場合があります。個別具体的事案に係る問題については、必ず弁護士にご相談ください。
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