
梶原啓 Kei Kajiwara
アソシエイト
シンガポール
NO&T Asia Legal Update アジア最新法律情報
船荷証券(Bill of Lading)は海上物品運送を請け負った運送人が荷送人に対して発行する証券である。船荷証券の所持人は運送品引渡請求権を行使することができる。つまり、運送人は船荷証券の呈示を受けて運送品を荷受人に引き渡すのが原則である。しかし、実務としては、船荷証券が荷受人に未着であっても例えば滞船を防ぐ等の要請から、運送人が船荷証券の呈示を受けないまま引渡しを行う例も珍しくない。船荷証券の呈示のない引渡しのために運送品が船荷証券の正当な所持人の手元にない事態(ミスデリバリー)について、船荷証券の所持人から賠償請求を受けた運送人はどのような反論ができるだろうか。2025年9月5日のシンガポール最上級審判決※1(以下「本判決」という。)は、第一審判決の結論を維持し、この問題に関する判断枠組みの落ち着きどころを示した。本判決に至る一連の裁判例は、海事法分野の基礎的な事項に関する最近の重要な展開である。
船荷証券の裏面には約款が記載され運送契約の条件を定める。船荷証券の呈示のない引渡しはこの運送契約違反である。運送人(本稿では裁判例の事案にならって船主である場合を想定する。なお、傭船者が運送人の場合もある。)は、船荷証券の呈示のない引渡しを行う際に、船荷証券の正当な所持人から賠償請求を受けるリスクを丸呑みしているのであろうか。そのようなリスクテイクは合理的ではないため、運送人はリスクを抑える方策を採るのが通常である。すなわち、運送人は、傭船者や荷主等の運送品の引渡しを速やかに進めるニーズのある者から補償状(Letter of Indemnity)の発行を受け、これと引換えに船荷証券の呈示のない引渡しを行う。補償状発行者は補償状をもって、ミスデリバリーについて運送人が船荷証券の正当な所持人からクレームを受けた場合に、運送人の損害を補償することを約束する。
多くの場合、ミスデリバリーの際にクレームをする側になるのは、運送品の取引の決済のチェーンに信用状(Letter of Credit)を発行することにより関与し、荷受人等に代わって支払を行った金融機関である。船荷証券が未着の間に荷受人が倒産等によって不払いを起こしリスクが顕在化すると、荷受人の依頼に応じて信用状を発行することで売買代金を肩代わりしていた金融機関は荷受人から肩代わり分の返済を受けることができなくなる。このような状況下で、金融機関は、信用状発行と引換えに予め担保権を設定していた船荷証券を受け取り、船荷証券の正当な所持人となる。
本判決に先立つ英国裁判例のSienna判決※2も、船荷証券の正当な所持人である金融機関が運送人に賠償請求を行った事案の一つである。この事案においては、金融機関が船荷証券を受け取る前に既に船荷証券の呈示のない引渡しが行われていた。この経緯を踏まえて、運送人は次の趣旨の立論をした。
まだ船荷証券を受け取っていない金融機関が、(引渡しを済ませたい)運送人から引渡しをしてよいかどうかを問われた場合には、船荷証券の呈示のない引渡しを指示したはずである。すなわち、実際の事実経緯とは異なり、運送人が運送契約に違反しないよう船荷証券の呈示のない引渡しの可否を金融機関に問い合せたという仮定のシナリオを想定する。この仮定の状況においても、運送人は金融機関の同意または指示を受けて、やはり船荷証券の呈示のない引渡しをしたはずだった。そうであれば、金融機関として回復すべき損害はない。なぜなら、契約違反がなければ損害は発生しなかったという条件関係はないことから、契約違反と損害との間に因果関係がないからである。
実際に、Sienna判決において、このような因果関係を否定する運送人の抗弁を認められた。Sienna判決の事案においては、金融機関(UniCredit)は船荷証券を受け取る前に荷受人と電子メールで交信しており、その際に(船荷証券なしに)エンドバイヤーへの運送品の引渡しが完了することを期待していたという見解や、さらには運送品の引渡しが未了であることに対する不満を荷受人に対して伝えていた。シンガポールは英国と同じコモンロー圏であるため、英国の裁判例が参照されるのは通常のことであり、本判決の当事者もSienna判決を踏まえた主張を行うことになった。
本判決において、運送人は、「MAERSK PRINCESS」という船舶の船主のMaersk Tankers Singapore Pte Ltd (Maersk)であった。Winson Oil Trading Pte Ltd(Winson)は台湾からシンガポールに軽油を運送するためにMAERSK PRINCESSを航海傭船し、Winsonは当該船舶の貨物であるこの軽油をHin Leong Trading (Pte) Ltd(Hin Leong)に売った。
Winsonは、Maerskに対して船荷証券の呈示を受けることなくHin Leongに対して軽油を引き渡すように指示し、代わりに自身がMaerskに対して補償状を発行することとした。MAERSK PRINCESSがシンガポールに着港すると、軽油はHin Leongに引き渡された。その後に、Hin Leongは自身の取引銀行であるUnited Overseas Bank Limited(UOB)に対して信用状の発行を依頼した。
ほどなくして、Hin Leongは倒産し、UOBに対して肩代わりしてもらった売買代金を返済できなかったため、UOBは担保権に従い船荷証券を手に入れた。UOBは当該船荷証券に基づきMaerskに対して貨物の引渡しを要求し、シンガポール高等裁判所(第一審)において裁判手続を開始した。
MaerskはSienna判決に依拠して因果関係を否定しようとした。Maerskは、UOBが被った損害の最も直接的な要因はHin Leongとの信用状取引である、また、UOBは船荷証券を担保として見ていなかったのであるからMaerskに対して船荷証券の呈示のない引渡しを指示したはずであると主張した。しかし、第一審判決はこれらの主張を排斥し、MaerskがUOBに対して39,372,300米ドルを支払うように命じた※3。
第一審判決はSienna判決に依拠することができない理由として、Sienna判決の事案においては船荷証券の所持人である金融機関(UniCredit)が運送人の抗弁を争う中で、仮定のシナリオについて踏み込んだ主張を行っていたという特殊性があったと指摘した。すなわち、UniCreditは「自身が運送人から問合せを受けたならば運送人が船荷証券の呈示を受けない引渡しを行うことを認めたはずがない」という主張を展開する中で、その前段階の仮定の事実経過として「(船荷証券の呈示を受けない)引渡しを求められた運送人はUniCreditに問合せを行ったであろう」ということを自認していた。第一審判決によれば、UOBは、Sienna判決の事案におけるUniCreditとは異なり、「(船荷証券の呈示を受けない)引渡しを求められた運送人のMaerskがUOBに問合せを行ったであろう」ということを自認したりはしていなかった。そして、Maerskは、「MaerskがHin LeongやUOBに問合せを行ったであろう」ということを主張立証していなかった上※4、「UOBがMaerskに対して船荷証券の呈示のない引渡しを指示したはずである」ということも立証できなかった。
第一審判決は上記の判示の基盤となる立証責任の所在の考え方についても詳細な判示をしている。Sienna判決が金融機関(UniCredit)側に立証責任があることを示唆した部分を実質的に覆し、結論として、因果関係を否定する抗弁については運送人が立証責任を負うとした。また、UOBは船荷証券を担保として捉えていなかったというMaerskの主張も排斥した。
Maerskは上訴したが、最上級審の本判決はこれを認めず、第一審判決の結論が維持された。本判決は、因果関係を否定する運送人の抗弁を訴訟代理人弁護士が取り下げたものと判示した。このため、本判決においては因果関係を否定する運送人の抗弁は中心的な論点にはならなかった。ただし、本判決は、Maerskは「運送人において船荷証券の呈示のない引渡しを行うことにUOBは同意したはずである」ということを立証できていないのであるから因果関係を否定する運送人の抗弁はそもそも不適だということを示唆した。このことから、本判決は、Maerskが事実とは異なる仮定のシナリオを立証できていないという第一審の判断を支持するものと理解される。
英国裁判例のSienna判決により、船荷証券の呈示のない引渡しを行った場合においても損害との因果関係を否定し運送人が責任を免れるための抗弁の存在が認知された。本判決とその第一審判決によって、運送人としてそうした抗弁を利用できる事案は限定的であることが明らかにされた。傍論とはいえシンガポール最上級審の本判決が因果関係を否定する運送人の抗弁に関する第一審判決の見解にお墨付きを与えた。このため、立証責任の点を含めて第一審判決の判断枠組みが今後も参照されると考えられる。海運実務に携わる当事者にとって重要な点は、こうした紛争事例をきっかけとして各種契約書類や補償状等の内容に加え、リスクのある取引に関する対処・回避の方策と証拠の残し方に改めて意識を向けることである。
※1
Winson Oil Trading Pte Ltd v United Overseas Bank Ltd and another appeal [2025] SGCA 42.
※2
Unicredit Bank Ag v Euronav NV [2024] 1 Lloyd’s Rep 177.
※3
The Maersk Katalin [2024] SGHC 282.
※4
Hin Leongからの証人は法廷に呼ばれなかったのでこの点についてのHin Leong側の証言はなかった上、軽油の引渡し時点ではHin LeongはUOBに対して信用状発行の依頼すらしていなかったのでHin LeongがMaerskに対してUOBに問合せを行うように指示したであろうとは認め難いという事情があった。
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