深水大輔 Daisuke Fukamizu
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米国司法省による個人版自主報告パイロットプログラムの公表について(2024年5月)
2023年3月、米国司法省(DOJ)の刑事局(Criminal Division)は、企業のコンプライアンス・プログラムを評価する指標として「企業コンプライアンス・プログラムの評価」(Evaluation of Corporate Compliance Programs)の改訂版を公表しています※1(以下「本指針」といいます。)。
本指針は、リスクベース・アプローチに基づき、企業のコンプライアンス・プログラムが「適切に設計されているか?」、「真摯かつ誠実に適用されているか?(実効的に機能するよう十分にリソースと権限を与えられているか?)」、「実際に機能しているか?」を評価するという従前の枠組みを維持しつつ、人事・懲戒制度に関わるコンプライアンスのインセンティブ設計についての項目や、近年のテレワーク等によるコミュニケーション手段の変化等を踏まえた項目等、評価を行う上での考慮要素を新たに追加しています。
DOJの検察官は、起訴・不起訴の処分や司法取引等の合意を含む企業不正事案の処理方針を決定するにあたり、「当該企業のコンプライアンス・プログラムの有無及び従来存在していたコンプライアンス・プログラムの実効性」や「企業による改善措置」等を考慮することとされています。したがって、企業が実効性のあるコンプライアンス・プログラムを整備・運用することは、単に組織内の不正のリスクを低減させるだけでなく、DOJの検察官において企業の訴追を見送るという判断や、制裁金を大きく減額するという判断を導き、DOJの調査の際に企業が被る不利益を最小限に止めることにつながります。
そこで、本稿では、2023年に行われた本指針の2つの主要な改訂箇所を紹介するとともに、改定後の執行例も踏まえた人事・懲戒制度の見直しについて概説します。
本指針の主要な改訂の一つ目は、「報酬体系と結果管理(Compensation Structures and Consequence Management)」という評価項目が新たに追加されたことです。ここでは、企業が社内の不正行為をより確実に発見するとともに、不正行為に関与した役職員を処分することなどを通じて、役職員が不正行為を行うインセンティブを削ぐ体制を実効的に構築できているかがポイントとなります。
その具体的な考慮要素は以下のとおり整理されています。
報酬制度に関わるインセンティブ設計について、DOJの刑事局は2023年3月3日にパイロット・プログラム(3年間)の実施を公表し、企業が不正行為を行った従業員等から報酬の取り戻し(いわゆるクローバック)をした場合に一定の条件の下で当該企業に対する罰金を減額することなども示しています※2。
役員報酬については、日本企業においても、クローバック条項やマルス条項(中長期的なインセンティブ報酬に関して支給前の報酬を減額したり消滅させたりするもの)の導入が進められています。もっとも、本指針やクローバック・パイロット・プログラムは役員と従業員とを区別していないため、従業員との関係で、どのような金銭的インセンティブの設計が可能なのか、果たして効果的かつ効率的に機能させることができるのかが問題となります。
不正行為を行った役職員に対する処分の在り方について、本指針やクローバック・パイロット・プログラムは基本的に米国法を念頭に置いていますが※3、日本企業としては、日本の労働法等の規律を踏まえて対応を行う必要があります。例えば、従業員を解雇することについては解雇権濫用法理による制約があり、また、従業員に対して(損害賠償請求を行うことは考えられるものの)報酬の支払いを拒絶したり、その返還を求めたりすることは基本的に認められないと考えられます(労働基準法第24条1項参照)。
この点、改訂後の執行例としては、2023年9月にAlbemarle社とDOJとの間で締結されたNPA(Non-Prosecution Agreement)が参考になります※4。本件においては、複数の国で行われていた贈賄スキームに関与していた17名の役職員のボーナス(合計76万3,453ドル)をAlbemarle社が凍結(withhold)したことについて、DOJのFraud Sectionが上記のパイロット・プログラムを適用し、制裁金の減額が認められています。ボーナスについては、企業によってその位置づけが異なるものの、純粋な賃金と比べると柔軟な設計が可能であると考えられます。また、退職金についても同様であり、ボーナスや退職金の設計を見直すとともに、効果的に周知・運用することにより、役職員が不正を行うインセンティブを下げ、本指針と整合的な形でコンプライアンスを重視する企業の姿勢を示すことが可能になると考えられます。
また、従業員の行動をデザインする観点から、確かに金銭的インセンティブは分かり易い側面があるものの、人の行動は様々なインセンティブが複合的に影響し合い、また、多くのバイアスの影響を受けた結果として生じるものであるため、これらの要素にも丁寧に目を向け、インセンティブ設計を総合的に行うこともまた重要となります。
さらに、懲戒制度は企業の姿勢や従業員に期待される行動を組織内に示すシグナルとして強い効果を持ち得るにもかかわらず、日本においては、懲戒制度の活用に非常に謙抑的な企業が少なくないと思われます。もっとも、本指針の改訂によってDOJの期待が明確化されたことを踏まえ、健全な組織風土を醸成し、コンプライアンス・プログラムの実効性を確保する観点からその運用を見直すことも検討に値するように思われます。
本指針の主要な改訂の二つ目は、業務に利用されるコミュニケーション・チャネルや私的デバイスに関するルールを整備することにより、不正行為が発生した場合に企業や当局がその証拠を保全・収集できる環境を整える必要性が示されたことです。コンプライアンス・プログラムが実効的に機能するために不正行為の調査が徹底して行われなければならない旨は以前から示されていましたが、近年、金融機関の従業員による私的デバイスを利用した業務内容を含むコミュニケーションについて、米国証券取引委員会等が業務上のコミュニケーションを記録する義務に違反するものとして厳しく取り締まっていることや※5、コロナ禍でのリモートワーク等を契機として業務に様々なコミュニケーションツールや私的デバイスが利用されるようになったことを踏まえ、新たに視点が示されたものと考えられます。
その具体的な考慮要素は以下のとおり整理されています。
企業が役職員に貸与している業務用デバイス(PC、スマートフォン等)に関しては、業務外の利用を禁止し、有事の際にはデータを確認することができる旨定めている日本企業もあります。他方、業務に利用される私的デバイスのデータに関しても必要な限度で調査の対象とするためには、それを可能とするポリシーを予め策定・周知し、必要に応じて従業員の承諾を得ておくことが重要となります。これらの対応が行われているか否かは、有事の際、企業又はその依頼を受けた弁護士等による調査に大きな影響を与える可能性があるため、未だ対応を行っていない日本企業においては、平時から対応の要否を検討することが望ましいと考えます。
また、業務用デバイスや私的デバイスの利用状況について、ポリシーやルールに従った運用が行われているか否かを継続的にモニタリングしたり、違反が確認された場合に適切に処分を行ったりしているか否かについても、DOJは関心を持つことが想定されるため、単にポリシーやルールを策定するだけでなく、それらが有効に機能していることを確認するプロセスを適切に運用することが重要となります。
本指針のアップデートやパイロット・プログラムが公表された昨年3月以降、特にクローバックに関する論点を中心に、その適否や有効性が認められる範囲、現実的な運用方法等について実務家や学者の間で様々な意見が見られます。したがって、現時点で今回ご紹介したトピックについてプラクティスが確立されているわけではありませんが、日本企業のみなさまにおいては、公表される執行例やDOJ幹部のリマークス等を今後も参考にしつつ、適用法令や企業の規模、組織のストラクチャー、ビジネスの内容、範囲を含め、個々の企業がその置かれた状況と直面する具体的なリスクに応じて効果的(effective)かつ説明可能(accountable)なコンプライアンス・プログラムを整備、運用すべく、継続的にメンテナンスを行っていただければ幸いです。
※2
報酬を利用したインセンティブとクローバックに関する刑事局のパイロット・プログラム(The Criminal Division’s Pilot Program Regarding Compensation Incentives and Clawbacks)(https://www.justice.gov/opa/speech/file/1571906/download)参照
※3
ただし、本指針やクローバック・パイロット・プログラムも、法領域により取扱いに差異が生じること自体は認識しているものと考えられます。
※5
例えば、2022年9月28日付の日本経済新聞電子版の記事においては、金融機関の従業員が業務のやり取りの記録を怠ったとして、SECと米国商品先物取引委員会(CFTC)が11社の銀行と証券会社に対し、合計18億ドル(約2,600億円)の制裁金を科すと発表したことが報道されています。
本ニュースレターは、各位のご参考のために一般的な情報を簡潔に提供することを目的としたものであり、当事務所の法的アドバイスを構成するものではありません。また見解に亘る部分は執筆者の個人的見解であり当事務所の見解ではありません。一般的情報としての性質上、法令の条文や出典の引用を意図的に省略している場合があります。個別具体的事案に係る問題については、必ず弁護士にご相談ください。
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