
クレア・チョン Claire Chong
カウンセル
シンガポール
NO&T Dispute Resolution Update 紛争解決ニュースレター
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大手電子商取引・テクノロジー企業の経費削減に伴う雇用関係紛争が続き、競業避止条項(「restraint of trade clause」又は「non-compete clause」)についてシンガポールにおける注目が高まっている。
シンガポールの電子商取引プラットフォーム運営会社であるShopeeは、元上級職員によるByteDanceへの転職と転職後のShopeeの顧客や従業員への働きかけを阻止するために差止を請求したが、2024年1月、シンガポール高等法院はこれを棄却した。なお、ByteDanceは電子商取引プラットフォームのTikTok Shopを保有している。
本判決(Shopee Singapore Private Limited v Lim Teck Yong [2024] SGHC 9)は、競業避止条項を作成しこれを遵守させるための要件と考慮要素を明らかにした最近の重要判断である。
司法部門のみならず国会と政府も競業避止条項をめぐる論点の整理に身を乗り出してきている。その点も本稿の最後に紹介する。
被告のリム・テクヨン氏は、Shopeeにおいて働き始める際に、同社と制限誓約契約(restrictive covenants agreement)及び従業員守秘義務契約を締結した。
制限誓約契約上、リム氏は、Shopee退職後12か月間は競合他社に転職できず、Shopeeの顧客や従業員に働きかけてはならないとされていた。また、従業員守秘義務契約によって、リム氏は機密情報の秘密を保持するとともに、機密情報を利用する場合にはShopeeグループの利益のためだけに利用しなければならないとされていた。
リム氏は、8年間の勤務後、2023年8月にShopeeを退職し、2023年9月にByteDanceに転職した。同氏のByteDanceでの役職は、TikTok Shopの法令遵守・顧客体験チームのリーダーであった。
2023年11月、Shopeeは制限誓約契約違反を主張しリム氏に対する訴訟を提起し、裁判所に対してリム氏によるByteDanceへの転職とShopeeの顧客や従業員への働きかけの仮差止を求めた。さらに、Shopeeは、「springboard injunction」と呼ばれる元従業員による機密情報の不正利用を禁止する類型の差止請求を用いて、リム氏が他の競合他社に転職することも阻止しようとした。
仮差止の申立について
裁判所は、仮差止の申立を判断するにあたり、American Cyanamidテストと呼ばれる判例法上の審査基準を用いた。このテストは競業避止条項に基づく申立に関して次の要件を挙げる。
裁判所はさらに、判断の理由として、判例法上の次の二つの原則にも言及した。一つは、転職の自由が公共の利益として重要であることに鑑み雇用上の競業避止条項は原則無効であるという原則である。もう一つは、機密情報や営業秘密が既に別の契約条項によって保護されている場合には、それらの機密情報や営業秘密を超える保護を与えるべき会社の正当な利益が競業避止条項によって保護されていることを会社として主張立証しなければならないという原則である。
そして、裁判所によれば、Shopeeが保護を求めた機密情報は、短期・長期の業績成長プラン、価格設定や広告活動の戦略、注文・顧客・流通取引総額の統計といった、相対的に抽象度の高い情報であった。
さらに、これらの情報は既に従業員守秘義務契約によって保護されていることから、Shopeeは従業員守秘義務契約による保護を超えて制限誓約契約によって機密情報を保護する会社の正当な利益を主張立証できていないと判示された。
裁判所は、Shopeeが保護を求めた機密情報は抽象性が高いことから、競業避止義務の地理的範囲がShopeeの扱う全ての市場の電子商取引事業者にまで及ぶほど広くなる(一方、リム氏はそれらの市場には関与がなかった)点にも注目した。American Cyanamidテストにあてはめると、これほどの広汎な制約は合理的であるとはいえない。
また、Shopeeの顧客や従業員への働きかけを禁止する条項にリム氏が違反したという主張に関しては立証が不十分とされた。
以上から、裁判所はShopeeの仮処分の申立を棄却した。
機密情報の不正利用差止の申立について
「springboard injunction」と呼ばれる元従業員による機密情報の不正利用を禁止する類型の差止請求については、次の要件が必要とされる。
Shopeeは、リム氏が「これまでに従業員守秘義務契約に違反しておらず、これからも当該義務を遵守する」という趣旨の追加的な誓約を行わなかったことをもって、機密情報の不正利用の事実、又は、そのおそれがあることを立証しようとしたが、裁判所は立証不十分と判断した。したがって、機密情報の不正利用差止の申立も棄却された。
競業避止条項は雇用契約においては一般的な条項である。特に従業員が上級管理職である場合には重要度が高い。実務上、そのような競業避止条項の効果に関しては複雑な問題が絡む。
本判決によれば、競業避止の有効性は具体的な事実関係によって左右される。したがって、仮差止を求める雇用者としては、適切な法的助言を得て、保護の対象となる正当な利益を明確化するととともに十分な立証準備をする必要がある。
本件とは異なるが、電子商取引事業者のLazadaによる最近の人員削減の文脈においては、非常に幅広いテクノロジー・小売・運送事業者を転職禁止対象として指定する12か月の競業避止条項が問題となった。これを受けて2024年2月、シンガポール国会においてLazadaの人員削減の影響を議論する場が持たれた。
シンガポールの人材開発省は、競業避止条項は合理的でなければならず、雇用者の正当な利益と被用者が所得を得るための自由とを上手く両立させるものでなければならないとの声明を出した。さらに、人材開発省は、雇用者と被用者双方に向けて競業避止条項に関するガイドラインを策定中であると発表した。当該ガイドラインによって、競業避止条項を設けることが適切な場合や競業避止条項の起案の際の考慮要素がより明らかになると考えられる。
※「【コラム】日本企業の国際法務と紛争② ―「契約解除」」をPDF内に掲載しておりますので、「全文ダウンロード(PDF)」よりご覧ください。
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