
福井信雄 Nobuo Fukui
パートナー/オフィス代表
シンガポール
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2025年8月末より、首都ジャカルタを含むインドネシア全土で大規模な抗議デモが発生し、一部は暴動に発展した。今回の抗議デモの直接的な原因は、国会議員に対して支給される住宅手当が月額5000万ルピア(約45万円)に増額されたことが、物価上昇や増税に苦しむ国民の反発を招いたものとされている。8月25日から学生団体を中心に抗議活動が始まり、28日ジャカルタでのデモの最中、バイクタクシー運転手が警察の装甲車に轢かれて死亡するという痛ましい事件が起き、その映像がSNSで拡散されたことで抗議デモはインドネシア全土の主要都市へと拡大・過激化した。財務大臣を含む複数の国会議員の住宅が襲撃されるなど、一時は1998年に多数の死傷者を出したジャカルタ暴動を想起させる事態にエスカレートすることも懸念されたが、現在(2025年9月9日時点)は沈静化に向かっている。
今回の抗議デモの直接的な引き金は国会議員の住宅手当の増額措置にあると言われているものの、その背景には、それに留まらない以下のような新政権への不満や根深い社会・経済問題が内在していることが窺われる。
近年、インドネシア経済は比較的堅調に推移しているものの、その恩恵が一部の富裕層に偏在しており、貧富の格差が解消されない状態が続いている。労働者階級を中心とする多くの国民はインフレによる食料品や燃料価格の高騰、増税に苦しんでおり、生活は厳しさを増す一方で、国会議員への高額手当措置が火に油を注ぐ結果となったように見受けられる。
インドネシアでは政治家や官僚による汚職が依然として蔓延っており、2000年代から汚職撲滅に向けた政府の取り組みが継続してはいるものの、未だ汚職の根絶には程遠い状況にある。それによる国民の政治に対する不信感も根強く、今回のデモでも国会議員のことを指して「汚職エリートから資産を没収せよ」といったスローガンが掲げられたといった報道もあり、今回の住宅手当への抗議に留まらない長年の汚職問題への不満の表れも見てとれる。
警察による人権侵害や過剰な暴力もかねてより市民社会から批判されてきた。今回のバイクタクシー運転手の死亡事件は、映像の拡散により警察権力の不当・過剰な行使が招いたものだという印象が植え付けられ、改革が進まない警察組織への不満を再燃させ、デモ隊の怒りの矛先が警察施設にも向けられる一因にもなった。
ジャカルタ市内の大規模なデモや暴動は沈静化に向かっており、9月3日にはジャカルタ首都特別州知事が在宅勤務の指示を解除し、公共交通機関も通常運行を再開するなど、市内の機能は正常に戻りつつある。ただ、デモの火種が完全に消えたわけではなく、今後も突発的な抗議活動が発生する可能性は否定できず、デモの標的となりやすい国会議事堂、大統領官邸、警察関連施設などの周辺は引き続き近づかないことが望ましい。日系企業が多く集積する工業団地などのジャカルタ郊外の地域については、ジャカルタ中心部ほどの混乱は報告されていないようである。
日本の外務省や在インドネシア日本国大使館からは、現地在留邦人に対して、デモや集会に近づかないことや、念のため食料や水、燃料などを備蓄することを推奨する呼びかけがなされたものの、「退避勧告」は出されていない。今後も状況の推移を注視する必要はあるものの、現時点で直ちにインドネシア国外に退避する必要性は低そうである。
今回のデモを契機に、労働法の改正を求める動きが再び活発化している。2020年に成立したオムニバス法(雇用創出法)は、国内外からの投資を促進するために労働規制を大幅に緩和する内容を含んでおり、労働者側は「解雇されやすくなった」「最低賃金の上昇が抑制された」「アウトソーシング(業務委託)が拡大し、不安定な雇用が増えた」などと強く反発してきた。2024年には、複数の労働組合連合などが原告となった訴訟で、労働法の一部を改正するオムニバス法の21の条項が憲法に違反する旨の判決が出され、その後もアウトソーシングの完全撤廃を求めるなど、さらなる改正を求める動きが継続していた。今回の抗議デモの直接的な引き金は議員手当問題ではあるが、デモの参加母体には労働組合が大きな割合を占めており、この機会を利用して賃金制度の見直しや雇用の安定を含む労働条件の改善をより強く求める動きが既に見られ、政府が何らかの形で労働者寄りの法改正の検討を迫られる可能性が高そうな状況にある。
インドネシアの労働法はもともと労働者保護に手厚い制度となっており、オムニバス法の施行によってやや中立的な制度に改正されたものの、再度労働者側の揺り戻しにより従来の制度に逆戻りしつつあるのが現状である。投資家の観点からすると望ましい方向性ではないものの、投資判断にも影響を与えうる動きであることから引き続き注視する必要がある。
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