塚本宏達 Hironobu Tsukamoto
パートナー(NO&T NY LLP)/オフィス共同代表
ニューヨーク
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2023年10月30日、米国のバイデン大統領は、「AIの安全、安心、信頼できる開発と利用に関する大統領令」(Executive Order on the Safe, Secure, and Trustworthy Development and Use of Artificial Intelligence※1、以下「AI大統領令」といいます。)を公布しました。バイデン政権は、これまでも2022年10月にAI権利章典の青写真(Blueprint for an AI Bill of Rights)を公表し、更に2023年7月には大手AI企業7社(同年9月に8社追加され、合計15社)からのVoluntary Commitmentsを得るなど、AIの規制に関連した政策を打ち出してきましたが、多くは拘束力のないガイドラインや企業による自主規制の支援が中心でした。今回のAI大統領令は、今後、既存の法令に基づき又は新たな立法等を通じて、米国で拘束力のあるAI規制が導入されることを意味しており、大きな注目を集めています。
AI大統領令は、安全かつ責任あるAIの開発と利用を促進する目的で、優先的に取り組む8つの指導原則(guiding principles)を明らかにしていますが、本稿では、日本の事業者に特に影響があると思われる内容に焦点を当ててご紹介いたします。
AI大統領令は、以下の8つの指導原則を掲げています。
1. AI技術の安全性とセキュリティの確保 | 2. イノベーションと競争の促進 |
3. 労働者の支援 | 4. 公平性と公民権の推進 |
5. 消費者、患者、乗客、学生の保護 | 6. プライバシーの保護 |
7. 連邦政府によるAI利用の促進 | 8. 海外における米国のリーダーシップの強化 |
1. AI技術の安全性とセキュリティの確保 |
2. イノベーションと競争の促進 |
3. 労働者の支援 |
4. 公平性と公民権の推進 |
5. 消費者、患者、乗客、学生の保護 |
6. プライバシーの保護 |
7. 連邦政府によるAI利用の促進 |
8. 海外における米国のリーダーシップの強化 |
AI大統領令は、連邦政府機関に対して法的拘束力を有するにとどまり、民間事業者の権利義務や罰則を直接定めているわけではありません。しかし、AI大統領令では、既存の法令に基づき又は新たな立法等を通じて、特定のAI開発者に対する報告義務やAIの利用者に対する規律の検討を含む一定の措置を、一定の期間内(項目によって30日から540日以内)に講ずるよう関係当局の長官に指示しているため、今後、関係官庁においてAI大統領令に従った措置が講じられることによって、AIの開発者及び利用者に重大な影響を及ぼすことが想定されます。AI大統領令は100頁近い非常に詳細なものですが、以下では、特に日本企業にも影響があると思われる内容について概観します。
AI大統領令は、国防生産法(Defense Production Act)に基づき、「デュアルユース基盤モデル」(dual use foundation models)の開発者に対し、AIシステム一般公開前の安全性テスト(AIレッドチーム(AI red-teaming)※2テスト)の結果やデュアルユース基盤モデルのトレーニング、開発又は製造に関する情報等について、連邦政府への報告義務を課すことを求めています(4.2項(a)(i))。「デュアルユース基盤モデル」とは、悪用されると安全保障、国家経済安全保障、国家公衆衛生もしくは安全に対する深刻なリスクをもたらしうるAIモデルを意味しており、具体例として①CBRN(化学、生物、放射線、核)兵器の設計等を容易にするもの、②サイバー上の脆弱性を発見しやすくすることで強力なサイバー攻撃につながるもの及び③欺瞞等によって人間の制御や監視を回避することを可能とするものが掲げられています※3(3項(k))。
また、その他、大規模計算クラスタ(large-scale computing cluster)の所有者等に対する報告義務(4.2項(a)(ii))、インフラストラクチャー・アズ・ア・サービス(Infrastructure as a Service(IaaS))提供者に対する外国の者との取引に関する報告義務(4.2項(c))を課すことも求めています。
AI大統領令は、生成AIのリスクを踏まえ、AIが生成したコンテンツを識別する能力を高めるために、デジタルコンテンツ認証(digital content authentication)及び生成コンテンツのラベリング(watermarking※4等)等に関するガイダンスを策定することを求めています(4.5項(b))。
AI大統領令は、NIST(国立標準技術研究所)がAIレッドチームテストの手順を含むガイドラインや生成AIのリスクマネジメントフレームワーク等に関するガイドライン等を策定することを求めています(4.1項(a))。
この指導原則ではAI人材の米国への誘致、イノベーションの促進及び競争の促進を定めています。日本企業に直接関係のある項目は少ないですが、イノベーションの促進の観点では、特許審査官及び出願人に対する発明者責任と、発明プロセスにおけるAIの利用に関するガイダンスの公表、AI関連の知的財産リスクを軽減するための研修、分析、評価プログラムの開発や社会的・世界的な課題に関する研究におけるAIの潜在的役割に関する報告書の公表等、米国におけるAI規制の考え方を示す重要文書を公開することを定めているため(5.2項(c)、(d)、(h))、日本企業もこれらの文書を参照し、研究することが有益であると思われます。
また、競争の促進の観点では、例えば5.3項(a)は、連邦取引委員会は、AI市場における公正な競争を確保し、AIによる損害から消費者と労働者を守るために権限行使の検討が奨励される旨を定め、今後の権限行使の大方針に言及しています。米国の競争法は積極的に域外適用されているという状況を踏まえると、日本企業としても、AIの分野でも、公正競争確保、消費者及び労働者保護の観点から今後競争法が適用されうるということを認識しておくことは有益でしょう。
この指導原則では、今後AIの労働市場への影響に関する報告書が作成されること(6項(a))、職場に導入されたAIが従業員の福利増進に資するようなベストプラクティスを公表することが定められています(6項(b))。特に後者については最低限、①AIに関連する離職リスクとキャリア、②AIの公平性等を含む労働基準及び職務の質、③透明性等の使用者が労働者の情報をAIで収集・利用することによる労働者への影響を含めなければならないとされており(6項(b)(i))、具体的なベストプラクティスが公表されると想定されます。職場でのAI利用を考える日本企業にとっても参考になると思われるので引き続き動向を注視する必要があります。
この指導原則は主に刑事司法及び公的給付におけるAIの公平な活用について言及されていますが、採用におけるAI利用についても言及されています(7.3項)。同項では採用におけるAIの利用によって差別が生じないようにするための連邦契約業者向けのガイダンスを公表するとされています。米国政府との契約に関するものではあるものの、日本企業にとっても参考になる部分はある可能性があり、こちらも確認しておくことが望ましいでしょう。また、住宅の取引に関してAIの利用によってもたらされる差別軽減のための追加ガイダンスを発行することが関係当局の長官に奨励されており、具体的な反差別のためのガイダンスが発行される可能性があります。
この指導原則では、消費者、医療、運輸及び教育におけるAIの利用に関する規制の策定を関係当局に検討するよう求めており、今後具体的な規制がなされる可能性が高く、重要な内容を含んでいますのでそれぞれの規制対象ごとに概要を紹介します。
8項(a)は、詐欺、差別、プライバシーへの脅威からの消費者保護及び金融安定性へのリスクを含むAIの利用から生じうるその他のリスクへの対処を目的に、規制を策定することを奨励しています。また、既存の規制やガイダンスがAIに適用される箇所を強調・明確化することも指示されています。この明確化には、規制対象主体が利用する第三者のAIサービスについてデューデリジェンスを実施し、監視する責任を明確化することや、AIの透明性や規制対象主体のAI利用に関する説明能力についての要件の明確化が含まれるとされており、責任あるAI利用のために具体的な規制が導入されることが想定されます。
8項(b)は医療・福祉サービスの分野における責任あるAIの利用のためのフレームワーク等を策定することを関係当局の長官に求めています。当該フレームワーク等にはAIが生成したアウトプットについて人間による監督を考慮に入れることやAIによる差別や偏見を特定し緩和すること、プライバシー及びセキュリティの基準を開発ライフサイクルに組み込むこと、並びにAIを適切かつ安全に利用するための文書の作成等を内容として盛り込むこととされています(8項(b)(i))。また、AIの性能に関する市場投入前評価及び市場投入後の監視のための措置を検討すべきことを関係当局の長官に求めており、AIの品質維持のための評価・監視のための措置が採られると考えられます。
8項(c)(d)は運輸・教育分野におけるAIの利用について言及しており、主には政府による自動運転技術に関する現状の調査等や教育において差別のない責任あるAIの利用を取り上げるべきである旨定められていますが、上記(1)の消費者保護や(2)の医療、公衆衛生及び福祉分野におけるAIの利用とは異なり具体的な規制等には言及されていません。
バイデン政権は、議会に対し、すべての米国民(特に子供)のプライバシー保護を強化するため、超党派の連邦プライバシー法案を可決するよう呼びかけていますが※5、AI大統領令では、連邦政府がプライバシー拡張技術(Privacy Enhancing Technology、以下「PETs」といいます。)の開発等を支援することが強調されています(8項(c))。その他、この指導原則では、主に政府におけるAIの利用に伴うプライバシーリスクの軽減措置をとることが求められていますが、以下の点は日本企業にとっても参考になります。まず、AIによって悪化する可能性のあるプライバシーリスクとしてAIが個人に関する情報の収集や利用を促進すること及び個人に関する推論を行うことが指摘されており(8項(a))、少なくともこれら二つはAI利用によってもたらされる典型的なプライバシーリスクとして指摘されています。
また、PETsの利用促進のために差分プライバシー保護※6の有効性評価の省庁向けガイドラインを策定することとされている(8項(b))ことは、日本企業にとってもプライバシー保護のための取組みをする上で参考になると思われます。
この指導原則は専ら連邦政府によるAI利用に関する指示ですが、以下の各省庁への勧告(10.1項(b)(viii))は、AI利用のリスク管理の観点から日本企業にとっても参考になると思われるのでご紹介します。
また、この指導原則では、生成AIの利用促進についても述べられており、少なくとも個人の権利に影響を与えるリスクの低い場合や日常的な作業のために生成AIを活用することは、禁止されるべきでないとされています(10.1項(f)(i))。
この指導原則は日本企業との関連が薄いため、本稿では詳しくは取り上げませんが、米国がAIのグローバルスタンダードを作り上げていくための各種取組みが列挙されているほか、責任あるAIのための枠組み構築に向けた有志国連携の重要性が強調されており、日本におけるAI規制の議論の観点からも留意が必要です。
今後米国内では、AI大統領令で指示された内容に基づき、各政府機関が具体的な措置を講じることとなるため、日本企業への影響の有無も含め、引き続き注視する必要があります。
その他海外に目を向けると、AIの開発や利用に関する法規制を導入・検討する動きが各国で加速する可能性も考えられます。これまではEUのAI規則案※7や中国における生成AI関連規制※8等一部の国で規制が導入される動きが見られた一方で、包括的な法規制を導入するのではなく、規格、標準等の非拘束的な枠組みや既存の法令の執行を通じてAIのリスクに対処しようとする立場をとる国もあり、各国の政策アプローチは多様であったと言えます。今回のAI大統領令によって、米国でも法的拘束力を有する規制を導入する姿勢が明確に打ち出されたことにより、今後、日本をはじめとする他の国での検討状況にも影響が及ぶ可能性があります。
当事務所では引き続き最新のAI規制の動向をお伝えして参ります。
※2
「AIレッドチーム」(AI red-teaming)とは、AIシステムの欠陥や脆弱性を発見するための構造化されたテストを意味します(3項(d))。
※3
なお、ユーザーによる安全でない機能の利用を回避するための技術的安全措置を講じた上で、当該モデルがエンドユーザーに提供される場合であっても、この定義に該当することとされています(3項(k))。
※4
「watermarking」は、アウトプットの真正性等を証明する目的で、AIが生成したアウトプットに、通常除去することが困難な情報を埋め込むこととされています(3項(gg))。
※6
差分プライバシー保護とは、簡単に言うと特定の個人のデータが分析対象のデータセットに含まれていてもいなくても同じようなアウトプットが得られるように適切なノイズを付加する技術をいいます。
※7
欧州委員会が公表したAI規則案の内容については、テクノロジー法ニュースレターNo.6「EUがAIに関する包括的な規則案を公表」(2021年4月)をご参照ください。
※8
中国における近時の生成AI規制については、テクノロジー法ニュースレターNo.35「生成系AIに関する規制(生成系人工知能サービス管理弁法(パブコメ版)の公表)」(2023年5月)をご参照ください。
本ニュースレターは、各位のご参考のために一般的な情報を簡潔に提供することを目的としたものであり、当事務所の法的アドバイスを構成するものではありません。また見解に亘る部分は執筆者の個人的見解であり当事務所の見解ではありません。一般的情報としての性質上、法令の条文や出典の引用を意図的に省略している場合があります。個別具体的事案に係る問題については、必ず弁護士にご相談ください。
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