
塚本宏達 Hironobu Tsukamoto
パートナー(NO&T NY LLP)/オフィス共同代表
ニューヨーク
NO&T U.S. Law Update 米国最新法律情報
2024年6月28日、Loper Bright Enterprises v. Raimondo及びRelentless Inc. v. Department of Commerceのケース(それぞれ「Loper Bright事件」及び「Relentless事件」といいます。)において、連邦最高裁判所は、1984年のChevron U.S.A. Inc. v. Natural Resources Defense Council, Inc.のケース(以下「Chevron事件」といい、同事件における裁判所の判断を「Chevron判決」といいます。)※1で確立された、行政法に関するいわゆるChevron法理の採用を拒絶しました(以下、併せて「Loper Bright判決」といいます。)※2。議会が定める法律に基づき所轄の行政庁が制定した規則について、当該法律の規定が曖昧であること等を理由に、法律上当該規則を制定する権限は付与されていないとして規則の有効性が争われるような場面において、これまで裁判所は、Chevron判決に基づいて、法律の曖昧な部分の解釈については当該行政庁にその判断を敬譲してきましたが、Loper Bright判決によりかかる枠組みが終了することになりました。
Loper Bright判決において、最高裁判所は、行政庁ではなく裁判所が法律を解釈する権限があると結論付けました。Chevron法理に依拠して下された過去の裁判所の判断は、今のところは有効なものとして残ることになりますが、Chevron法理が否定されたことで、行政庁の判断に対する現在進行中又は将来の争いに大きな影響を与え、既存の判断について新たな争いを引き起こす可能性もあります。ほとんどの事業が何らかの行政規則の適用を受けること及び法律に曖昧さ・不明確さが存在することは珍しくないことを踏まえると、Loper Bright判決は幅広い分野・業界において行政法の解釈及び規制当局の実務に大きな影響を及ぼす可能性があると思われます。本ニュースレターでは、Chevron法理の内容、Loper Bright判決及びその影響について解説します。
1984年のChevron事件では、大気浄化法(Clean Air Act of 1963)の規定(具体的には大気汚染の”source”の文言)に関して、担当行政庁である米国環境保護局(Environmental Protection Agency。以下「EPA」といいます。)が同法を執行するために公布した規則で採られた解釈が、法律に反するものであるとして争われました。同事件の判決において、最高裁判所は二段階の基準を採用し、かかる基準の要件を満たした場合には、裁判所は曖昧な法律の解釈については行政庁の判断に委ねるべきと判断しました。すなわち、第一のステップとして、裁判所は問題となった特定の論点について議会が直接協議をしていたか否かを確認し、もし当該論点に関して議会の意図が明確であったならば、その意図と整合しない行政庁の判断を排除することになります。そして、第二のステップとして、問題となった論点について議会の意図が明確ではない又は曖昧である場合には、裁判所は、行政庁の法律の解釈が許容されるものである限り、(仮に裁判所自身の判断とは異なるようなものであったとしても)当該行政庁の解釈に委ねることが求められ、裁判所自らの法律解釈を適用できないことになります。Chevron事件において、最高裁判所は、問題となった論点について議会の意図が明確ではなかったとした上で、EPAの解釈は法律の解釈として許容可能なものであるとの結論を下しました。
Chevron事件以降、所轄の行政庁が法律に基づき制定した規則について、元の法律の規定が曖昧である等の理由で当該規則の有効性が争われる場面では、行政庁側はChevron法理を根拠に(裁判所ではなく)自らの解釈を主張し、裁判所は同法理に基づきその主張を認めてきたため、結果として、幅広い分野において行政庁の権限が実質的に強化されるという効果をもたらしたと考えられています。
今回のLoper Bright事件及びRelentless事件では、米国の海洋漁業に関する法律であるMagnuson-Stevens Fishery Conservation and Management Act(以下「MSA」といいます。)に基づいて規制当局であるNational Marine Fisheries Services(以下「NMFS」といいます。)により公布された規則の内容が争われました。MSAは米国の漁業資源の保護及び管理のために全面的な漁業管理に関する規則を制定する権限を(商務省の下部組織である)NMFSに対して付与しており、これを受けて、NMFSは、一部のニシン漁を行う漁船運営者に対して、漁場の保護及び維持のために必要なデータを収集するためのオブザーバーを漁船に乗船させ、かつ、オブザーバーの費用を負担させる内容の規則を定めていました。いずれのケースでも、申立者は、MSA上は漁船運営者のオブザーバー費用の負担が明確には求められていないため、当該規則がMSAと整合していないこと等を理由にその有効性を争いました。
Loper Bright事件では、コロンビア特別区連邦地方裁判所は、行政庁による当該規則の制定については法律(すなわちMSA)により権限が与えられていたと判断して、行政庁側のサマリージャッジメントの申立てを認めつつ、もし法律の文言に曖昧さがあった場合であっても、Chevron法理により行政庁の解釈に委ねられるべきと述べました。コロンビア特別区巡回区控訴裁判所は、MSA上、行政庁が漁船運営者にオブザーバーの費用の支払いを求めることができるか否かは「完全に明確」とまではいえないとしましたが、Chevron法理に基づいて行政庁の解釈への敬譲が認められるべきであるとして、地方裁判所の上記判断が支持されました。Relentless事件でも、ロードアイランド地区連邦地方裁判所及び第一巡回区控訴裁判所において同様の判断が下されました。
しかしながら、最高裁判所は、下級審裁判所の判断を覆してChevron法理の適用を拒絶しました。多数意見では、曖昧な法律の解釈は伝統的には司法の役割であり、行政庁の判断や意見は、裁判所が判断を下すための情報とはなり得るものの、裁判所の判断に優先するものではないとの立場が示されました※3。そして、議会が制定した行政手続法であるAdministrative Procedure Act(以下「APA」といいます。)は、行政庁の行為のための手続及びかかる行為の司法審査について定めており、同法では関連する全ての法律問題は行政庁ではなく裁判所が判断すると定められ、それには曖昧さを含む法律の問題も含まれるため、Chevron法理はAPAとは整合しないとされました。法律上の曖昧さを議会から行政庁への黙示的な権限委譲であると見做すことは誤りで、例えば、意図せず曖昧になっている場合や、議会が当該論点について十分な議論を行えていなかっただけである場合もあるとし、また、そもそも行政庁には法律上の曖昧さを解決するための特別な能力はない(他方、裁判所は法律の解釈についての専門性を有している)、と述べています。行政庁側は、行政庁が管轄する法律に関しては当該行政庁が深い専門性や経験を有している(そのため、行政庁の解釈に委ねられるべきである)ことを主張しましたが、多数意見は、議会は法律問題については裁判所にその解決を委ねていると判断し、その主張を斥けました。
なお、1944年のSkidmore v. Swift & Co.のケースにおいて、裁判所は、行政庁による(確かな情報に基づく)判断は重視され得る場合があり、個別のケースにおける行政庁の判断の重要性は、その検討における徹底性、根拠の正当性、それ以前及びそれ以降の判断・立場との一貫性、並びに説得力を与えるあらゆる要素に依拠すると判断しています(以下「Skidmore法理」といいます。)※4。その後のChevron判決(1984年)によって、行政庁への法律解釈の委譲が更に進んでいたところ、今回のLoper Bright判決ではSkidmore法理は否定されなかったため、Chevron判決が下される前の状態(Skidmore法理の適用に留まる状態)に戻ったと考えるのが合理的であり、そのため、今後も引き続き、裁判所が法律問題の解釈について判断を下す際に、問題となった法律を執行する責任を負う行政庁の法律解釈から助力を得ることは想定されていると考えられます。
Loper Bright判決によりChevron法理が否定され、法律の曖昧さについては行政庁ではなく裁判所が解釈しなければならないことが明確に示されたため、今後は、行政庁が公布する規則の有効性が争われた場合に、行政庁が自らを防御することが難しくなることが予想されます。厳格な司法審査の対象となることを前提として、行政庁側は自らの法律の解釈が(許容範囲というだけではなく)適切であったことについて裁判所を説得しなければならなくなります。また、裁判において行政庁の法律解釈が争われる可能性が高まることから、行政庁が規則を制定したり、行政手続を進める際に、慎重を期すべくより多くの時間が掛かる可能性があります。さらに、根拠となる法律の文言が変わらない場合には、行政庁は当該法律の解釈を変更することについてより消極的になる可能性もあります。
Loper Bright判決では、Chevron判決に基づいて行われた過去の裁判所の判断については引き続き有効であることが明示的に示されました。もっとも、これは必ずしも過去に裁判においてChevron判決に従って判断された規則の有効性が全く影響を受けないことを意味するわけではないと思われます。すなわち、例えば、過去にChevron法理に基づいて行政庁の解釈が裁判所により否定されなかった規則について、今後新たな訴訟においてその有効性が争われた場合には、改めて裁判所が法律解釈について独自に判断を下す可能性があります。そのため、Loper Bright判決は、行政庁による判断の枠組み(これまで長期間維持されてきたものを含みます。)について、大きな変化をもたらす可能性があると考えられています。
Loper Bright判決が出された直後である2024年7月1日、Corner Post v. Board of Governorsのケースにおいて、最高裁判所は、APAに基づく請求権を行使するための消滅時効は、これまでに行政庁の行為・規則による影響を受けていない者については無期限で停止される(すなわち、行政庁の行為・規則により影響を受けてから6年の時効期間が開始する)との判断を下しました※5。かかる判決も相まって、今後、行政庁が定めた規則の有効性がより争われやすくなる可能性があります。
行政庁により厳しい規制の対象となっている分野では、行政庁が定める規則の適用が問題となる場面が多く、Loper Bright判決による影響をより強く受ける可能性があると考えられます。行政庁の厳しい規制の対象となっている分野の代表的な例としては、EPA、食品医薬品局(Food and Drug Administration)、労働省(Department of Labor)、消費者製品安全委員会(Consumer Product Safety Commission)、連邦取引委員会(Federal Trade Commission)等が管轄する分野が挙げられます。その他、知的財産の分野では、米国特許商標局(US Patent and Trademark Office)が特許法に基づき特許申請やその他の手続に関する規則を定めており、また、税務の分野では、財務省(Department of Treasury)や内国歳入庁(Internal Revenue Service)が税務に関する規則やガイダンスを定めているため、これらの分野でも、同様にLoper Bright判決による影響を強く受ける可能性があると考えられます。
上記で述べてきたとおり、Loper Bright判決は非常に広範な分野で行政法の解釈及び規制当局の実務に大きな影響を与える可能性があります。今後、行政庁としては、厳格な司法審査の対象となることを前提として、具体的なケースごとに、法律により与えられた行政庁の権限の範囲を各業界・分野の性質に応じてより精緻かつ慎重に見極めることが求められることになります。規制の対象となる事業者にとっては、各規制当局がLoper Bright判決を受けて今後どのような姿勢・対応を取るのかを注視して、その影響を予測することが重要になってくると考えられます。また、事業者としては、Chevron判決の下でこれまで認められてきた(法律上は明確でなかった)過大な負担を課すような規則の有効性を争う場面もあるかもしれません。いずれにしても、Loper Bright判決を受けた行政庁、裁判所及び規制対象となる事業者のそれぞれの今後の動向に注目することが重要です。
※1
Chevron U.S.A. Inc. v. Natural Resources Defense Council, Inc., 467 U.S. 837 (1984)
※2
Loper Bright Enterprises v. Raimondo, No. 22-451, 603 U.S. ____ (2024)及びRelentless, Inc. v. Department of Commerce, No. 22-1219, 603 U.S. ____ (2024)。
※3
かかる判断が下された背景事情として、現在の連邦最高裁判所では、「小さな政府」(すなわち、行政庁の権限の制約・弱体化)を志向する保守派の判事が多数を占めていることも挙げられます。
※4
Skidmore v, Swift & Company, 323 US 134 (1944)
※5
Corner Post, Inc. v. Board of Governors of the Federal Reserve System, No. 22-1008, 603 U.S. ____ (2024)
本ニュースレターは、各位のご参考のために一般的な情報を簡潔に提供することを目的としたものであり、当事務所の法的アドバイスを構成するものではありません。また見解に亘る部分は執筆者の個人的見解であり当事務所の見解ではありません。一般的情報としての性質上、法令の条文や出典の引用を意図的に省略している場合があります。個別具体的事案に係る問題については、必ず弁護士にご相談ください。
(2025年4月)
関口朋宏(共著)
殿村桂司、松﨑由晃(共著)
大久保涼、伊佐次亮介、小山田柚香(共著)
服部薫、塚本宏達、近藤亮作(共著)
殿村桂司、松﨑由晃(共著)
大久保涼、伊佐次亮介、小山田柚香(共著)
服部薫、塚本宏達、近藤亮作(共著)
(2025年4月)
伊佐次亮介
殿村桂司、松﨑由晃(共著)
大久保涼、伊佐次亮介、小山田柚香(共著)
服部薫、塚本宏達、近藤亮作(共著)
(2025年4月)
伊佐次亮介