【はじめに】
近時、脱炭素、カーボンフリー、グリーン社会といった言葉を毎日のように耳にします。京都議定書以来、温室効果ガスの削減に向けた世界の動きは年々活発化していますが、パリ協定の発効(2016年11月)、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の「1.5℃特別報告書」の承認及び公表(2018年10月)といった国際的なイベントを経て、我が国でも、パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略の策定・改訂(2019年6月、2021年10月改訂)、菅首相(当時)の2050年カーボンニュートラル宣言(2020年10月)及び2030年度温室効果ガス削減目標の引上げ(2021年4月)、2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略の策定・改訂(2020年12月、2021年6月改訂)、第6次エネルギー基本計画の策定及び地球温暖化対策計画の改訂(2021年10月)を受け、脱炭素化に向けた官民の動きは急激に速さを増しています。
本対談では、カーボンニュートラル法務に携わる弁護士4名が、ESG/SDGsの重要テーマの一つであるカーボンニュートラルと法務の関わりについて議論いたします。
CHAPTER
01
カーボンニュートラルを巡る潮目の変化
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渡邉:
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従来、企業にとって脱炭素化・低炭素化への対応は、”コスト”としての意識が強かったように思います。ところが、ESG/SDGsの機運の高まりの中で、企業の環境面における取組みを投資判断の材料の一つとする動きが活発化しています。こうした潮流の中で、企業はどのように対応していくべきなのでしょうか。
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本田:
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日本は、過去には欧米諸国に比較してESG投資に後ろ向きだと言われていましたが、2015年に、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が責任投資原則(Principles for Responsible Investment)に署名したことを皮切りとして、ESG投資が加速し、脱炭素に資する投資案件も増加しました。政府は、2019年6月に「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略」を閣議決定し国連に提出していますが、その中でも言及されていたように、各企業は、「もはや気候変動対策は、企業にとってコストではなく、競争力の源泉である」という意識の下で、行動していかねばならないのだと思います。最新のコーポレートガバナンス・コードやスチュワードシップ・コードにおいても、ESG要素が収益機会につながることが触れられています。
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藤本:
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菅首相(当時)は、第203回臨時国会(2020年10月26日)における所信表明演説において、日本が2050年までに温室効果ガスの排出を全体としてゼロにし、カーボンニュートラルの実現を目指すことを宣言しました。それまでの国の長期目標は、2050年までに2013年比で80%の温室効果ガスの排出削減を目指すというものでしたので、産業界にとっては大きな衝撃だったと思います。その後、米国主催の気候サミット(2021年4月22日~23日)においては、2030年度の温室効果ガスの削減目標を従来の2013年度比26%から同46%へ引き上げることが宣言されています。これらの宣言を踏まえて策定されたグリーン成長戦略は、これから先の官民が実践すべき脱炭素社会に向けたロードマップを示しており、多かれ少なかれ、各企業はこの様な大きな環境変化を見据えて対応していく必要に迫られていると言えます。
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三上:
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近年、国内外を問わず、大規模な洪水、山火事といった甚大な自然災害のニュースが絶えません。今年11月にはイギリス・グラスゴーで第26回気候変動枠組条約締約国会議(COP26)が開催されますが、パリ協定締結に際してのNDCs(Nationally Determined Contributions)よりも高い脱炭素化に向けた目標を定立し、実現していくことが参加国には期待されています。地球温暖化対策推進本部は、今年10月22日に、COP26に向けて、我が国の新たなNDCを決定しました。その中においても、日本の2030年度における温室効果ガスの削減目標を2013年度比46%減とし、「さらに、50%の高みに向け、挑戦を続けていく」旨が明記されています。また、既に、日本でも、各民間企業が独自のカーボンニュートラル、更にはカーボンネガティブの達成に向けたコミットメントを公表する例が増えていますが、脱炭素化に向けた取組みの実践は待ったなしの状況です。そのような事業環境の中において、企業は、”脱炭素化”という大きな波にただ流されるのではなく、企業活動の転換に伴うリスクを最小限に抑えるとともに、その取組みを企業の成長の源泉として最大限活用することが必要です。当然、法務的な観点からの分析も重要になってきます。
CHAPTER
02
再生可能エネルギー分野への期待
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渡邉:
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2030年の国の電源構成(エネルギーミックス)における再エネ電源の割合に関して言いますと、従来の目標は22~24%でしたが、第6次エネルギー基本計画では、「野心的な目標」としてこれが36~38%に大きく引き上げられました。こうした高い目標の達成に向けて、再エネプロジェクトの更なる普及は急務だと思いますが、法務的な見地からは何が大切で、どのような変化が想定されるでしょうか。
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三上:
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再エネプロジェクトにおいては、事業者、スポンサー、プロジェクトファイナンスを提供するレンダー、EPC業者、O&M業者、オフテイカーといった多数の関係者が関与します。それぞれの立場の違いを理解しながら、そのプロジェクトの特性に応じて丁寧にリスクアロケーションを分析し、ドキュメンテーションに反映させることが特に重要だと考えています。
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藤本:
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再エネ案件では、どの種類のプロジェクトをとってみても、多種多様かつ複雑な規制が関連します。環境規制、用地の取得・開発に関する規制や電力事業に関する規制が中心的ですが、それだけに留まりません。また、とりわけ開発段階では、近隣や行政機関などとの調整における戦略策定も重要です。プロジェクトの初期段階から、法務の観点からのインプットが重要だというのも、再エネ分野の一つの特徴だと思います。
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本田:
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従来、国内の再エネ分野を牽引してきたのは太陽光発電でした。バイオマス、地熱、水力、陸上風力も一定数開発が進んできましたが、2050年カーボンニュートラルの達成に向けて、当面は、大規模な発電容量を確保することが可能な洋上風力案件の増加が期待されます。再エネ海域利用法に基づく一般海域でのプロジェクトに関して言えば、既に事業者選定が完了したり、公募手続が継続中の案件も複数ありますし、先日(2021年9月13日)も、新たな促進区域の指定や有望区域の整理が行われましたので、中・長期的には、洋上風力案件が再エネ分野の牽引力となっていくものと思われます。
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渡邉:
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着床式か浮体式か、港湾区域か一般海域かを問わず、洋上風力案件は新しい法律問題の宝庫だと思っています。日本特有の規制上の問題もさることながら、どうしても、整備が先行している欧州の洋上風力プロジェクトでのスタンダードを理解し、欧州における契約実務を取り込んでいく必要がありますので、特にプロジェクトの初期段階から弁護士の関与が必要になってくる分野でもありますね。
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藤本:
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受け皿となる電力市場に関しても、2012年に導入された固定価格買取制度(FIT制度)に加え、2022年4月からFIP(Feed-in Premium)制度が導入されます。FIP制度は、FIT制度のような固定価格での買い取りではなく、発電事業者が任意に電力市場で売電を行うことを前提に、マーケット価格に対する一定のプレミアムを補助するものです。既存の電力市場との融和を図りながら、再エネ導入を促進しようとするものですが、電気事業制度において再エネ発電事業者に期待される役割が大きくなるとともに、その導入と同時に、小規模な再エネ電源を束ねて需給管理を行い、市場を代行する役割を期待されるアグリーゲーター制度が導入されるなど、新たなビジネスの創出にも注目が集まります。
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本田:
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FIP制度に限られませんが、電力分野の規制は、再エネの登場や小売自由化といった転換点を経て、ますます新しく、そして複雑なものになってきています。先ほど藤本弁護士から規制分野の話が出ましたが、電気事業法、再エネ特措法、エネルギー供給構造高度化法などに加え、電気事業法や再エネ特措法の改正を含む昨年成立したエネルギー供給強靱化法といった電力関連の法規制への理解が、日に日に重要性を増しているという実感があります。
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藤本:
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レギュレーション分野ももちろんですが、再エネ由来の電力へ転換を進める各企業が、再エネ事業者から直接再エネ電力を調達する仕組みである「コーポレートPPA」を進める例が増えてきています。コーポレートPPAは北米などを中心に導入が進んでいる仕組みですが、日本では電気事業制度の違いに留意してストラクチャーを組むことが重要であり、また、鍵となる非化石証書については近時数多くの制度改正が行われて複雑化しているところです。こうして考えると、再エネ分野は新しい論点がどんどん生まれてくる分野ですので、法務の観点から対応しなければならない事柄がこれからもたくさん出てくるだろうと思います。
CHAPTER
03
新規分野への対応がもたらす
ビジネスチャンス
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渡邉:
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一方で、2050年カーボンニュートラルの実現に向けては、今まで社会実装が進められてきた既存のタイプの再エネプロジェクトをただ数多く開発していくだけでは不十分だ、というのも一致した見方だと思います。例えば、令和2年度第三次補正予算では、脱炭素技術の開発を支援する2兆円規模の基金(グリーンイノベーション基金)が造成され、国が新しい技術開発を後押ししています。産業競争力強化法において創設された計画認定制度に基づくカーボンニュートラル促進税制の導入など、税制面での支援も進んでいます。更に、グリーンファイナンス、トランジションファイナンス(脱炭素への移行のためのファイナンス)、イノベーションファイナンスの展開に向けた制度設計が進む一方、TCFD(Task Force on Climate-Related Financial Disclosures)の位置づけの明確化といった情報開示関連の検討も進められています。皆さんは、新規分野への対応という観点から、法律の専門家にどのような事柄が求められると考えているのでしょうか。
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本田:
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脱炭素化の促進に市場メカニズムを用いる経済手法であるカーボンプライシングの分野は、今後整備が進んでいくと考えています。カーボンプライシングは、簡単に言うと、水などと同様に”空気”(二酸化炭素排出)にも値付けをするという考え方ですが、代表的な例としては排出権取引制度が挙げられます。排出権取引制度に関しては、京都議定書に基づいた国際的枠組みであるCDM(Clean Development Mechanism)などに基づくクレジット(排出権)の取引なども有名ですが、それ以外にも、各国/特定の複数国が独自に管理する制度として、JCM(Joint Crediting Mechanism)のような二国間クレジット制度や、日本におけるJ-クレジットなどのような各国に特有のクレジットが存在します。また、国内では、限定的ではあるものの、東京都や埼玉県において、一定規模の事業所の排出削減義務を前提とした排出量取引制度が導入されています。
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藤本:
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先ほど触れた非化石証書を含め、玉石混淆とも言える多様なクレジット取引制度の下において、企業戦略上何が最適かを検討するにあたっては、制度への深い理解が前提になりますし、法的な観点からの分析も重要ですね。
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本田:
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炭素税に関しては、国内で既に地球温暖化対策税が導入されていますが、諸外国と比較して低率に留まっていると批判があるところです。今後は、より企業経営にとってインパクトの大きい税制になっていくのではないかと予想されます。
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藤本:
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国際的な炭素リーケージ防止の観点から炭素国境調整措置の検討も進んでおり、EUではその導入も決まっていますので、今後は国内における議論も進んでいくと思います。特に国際的なビジネスを展開している企業にとっては、商流に影響のあるところですので、関連する国々のカーボンプライシング施策の動きについて無関心ではいられない時代になってきていると思います。
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三上:
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水素・燃料アンモニア分野の取組みへの検討も、加速度を増しています。技術的にはまだまだ発展段階であり、水素社会の普及に向けたサプライチェーンの構築に向けた課題が山積している現状ではあります。ただ、グリーン成長戦略の中にも、参考値とはいえ、2050年の電源構成の10%程度を水素・アンモニア発電が賄う想定とされていますし、グリーンイノベーション基金の対象分野にも水素・アンモニア関連事業が複数盛り込まれていますので、その期待は非常に大きいものです。
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渡邉:
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レギュレーションの観点で見ますと、現状は、水素・燃料アンモニアを規制する統一的な基本法があるわけではなく、高圧ガス保安法を中心に、数多くの個別規制法が適用されるという状況です。他方で、水素社会の実現に対応できていない従来の規制を変えていこうとする政府の動きも活発です。複雑な現行の規制枠組みを把握する必要性という意味ではこれまでの再エネプロジェクトと共通する面がありますが、水素・燃料アンモニアの分野では、早いスピードで変わりゆく規制枠組みをしっかりとモニタリングしていく、ということも求められていると思います。
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三上:
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契約実務の観点からも色々なポイントがありますよね。水素社会の実現に向けた初期段階では、技術開発に向けた企業の取組みが積極的に進んでいきますので、知的財産分野における検討が重要になると思いますし、リスク分散のために複数の国内外の企業が共同して製造、輸送・貯留、供給プロジェクトに取り組むこととなるケースも多いでしょうから、ジョイントベンチャー実務の知見も重要になると思います。
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渡邉:
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それに、欧州では再エネで得られる電力によって水を電気分解し水素を製造するP2G(Power to Gas)が水素戦略の中核に置かれています。日本でも、系統制約などを理由に、需要地から距離的に離れた地域における再エネプロジェクトにより生じる余剰電力を水素に転換して貯留・輸送するプロジェクトの展開が期待されるところですが、海外で安価に製造される水素・燃料アンモニアの調達もキーポイントになると思いますので、燃料調達契約や海上輸送契約も重要になってくると思います。また、水素社会の実現のためには、ハード面での大規模な投資も必要です。水素専焼発電所、水素製造プラントといったインフラ整備に際しては、これまでのEPCの実務やプロジェクトファイナンスの実務をどう応用していけるかも問われる論点だと思います。
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本田:
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CCUS(Carbon dioxide Capture, Utilization and Storage)についても水素と同様の課題があると思います。日本のエネルギー事情を踏まえると、脱炭素社会の実現に際しては、二酸化炭素を削減するのではなく、排出される二酸化炭素の貯留・利用するCCUSの技術の進展と普及も必要だと思いますが、日本では、海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律において、CO2の海底下廃棄の許可に関する制度があるものの、貯留・廃棄の許可期間が最長5年とされ、対象となるCO2の海底下廃棄事業の期間中及び閉鎖後の長期管理を考慮したものとは言えないですし、また、ガス事業法、鉱業法、高圧ガス保安法といった多様な法規制が現状は複雑に絡み合っています。海底下廃棄に限られませんが、CCUSの今後の展開に向けて、規制の統一化・精緻化が望まれるところです。また、国内の大規模CCSに関しては、苫小牧で大規模実証試験が行われているに留まっている状況です。
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渡邉:
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今年6月に、CCUSの活用に向けた産学官のプラットフォームであるアジアCCUSネットワークも立ち上がりましたし、日本がCCUSの分野でもアジア、そして世界を牽引する立場になれば、という期待もありますね。
さて、こうして議論してきますと、「カーボンニュートラル法務」の世界は、本当に多面的だということを改めて感じました。私たちも、脱炭素社会の実現を競争力の源泉に変えていこうとする企業の取組みを積極的に支援していきたいと考えております。本日は、ありがとうございました。
ウェビナーシリーズ
『インフラ・エネルギー・環境 法務フロントライン』
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