この事件の背景は少し複雑ですが、次のようなものでした。
現在、千代田区永田町にあるキャピトル東急ホテルは、以前は、東京ヒルトンホテルというホテルでした。元々は、東急電鉄が一流の国際的ホテルを所有することを望んで、1956年からヒルトン・ホテルズ・インターナショナル・インコーポレイテッド("HII")と交渉を開始し、その結果両者間で1958年暮れに締結されたホテル運営業務委託契約("委託契約")に基づいて建設され、1965年にヒルトンが運営する東京ヒルトンホテルとして開業したものだったのです。開業後、東京ヒルトンホテルは忽ち好評を博し、その業績は東急の予想を大きく上廻りましたが、その結果、東急は委託契約に基づいて運営委託料に加えて所定のボーナスを払わなければならなくなり、それが惜しくなったらしく、委託契約の条件の変更を求めるようになり、条件変更に応じてくれれば他にもホテルを建設して運営を委託してもよいなどと言ったりしましたが、ヒルトンは契約条件の変更には一切応じず、両者間の応酬は平行線を辿るのみでした。そうこうするうち、1966年9月、元駐米大使の某氏が東急の依頼を受けてニューヨークにHIIのCEOであったストランド氏を訪れて会談し、その席上一枚のメモランダムをストランド氏に渡しました。そこには、東急電鉄("TKK")と東京ヒルトンホテル株式会社("THH")(業務委託契約上のTKKの権利義務を譲り受けたTKKの100%子会社)の両社の取締役会が、もしヒルトンが契約条件の変更に応じなければ契約を破棄する外ないと決定したことが記載され、更に、東洋には"同床異夢"という言葉があるのだが東急とヒルトンの関係が更に悪化すれば、"二つのベッド"が必要になる、と記載してありました。これに対してストランド氏は、東急の総帥である五島昇氏に書簡を送り、その中でヒルトンによる運営が成功したからこそ東京ヒルトンホテルは初めから好い業績を挙げているのに、その代償として契約上のヒルトンの権利を不利に変更することに応じるわけには行かないが、今後の運営について東急側に質問があれば、あくまでも契約に基づいての会議であることを条件として、何時でも会いましょう、と述べたのですが、この書簡に対して、東急側からは何の応答もありませんでした。
これより先、ヒルトンは米国以外の国々でのホテル事業の売却を企画し、HIIの商号をヒルトン・インターナショナル・カンパニー("HIC")と変更し、またその株主構成をも変更し、やがて買手の候補として登場して来たTWAと交渉を開始しました。両社は売買の対象である米国外のヒルトンホテル事業の成功を今後とも確かなものにするためには、これまでと同じ経営者によりこれまでと同じ方針の下で経営させるのがよいと考え、そのために、先ずHICが同じ商号の100%子会社の(新)HICを設立し、それに対して(旧)HICの一切の権利義務を譲渡し、(旧)HICと同一の経営者が同一の方針に基づいて(新)HICを経営することになりました。この結果、東急ヒルトンホテルについての東急との業務委託契約上の(旧)HICの権利義務一切も(新)HICに引き継がれ、東京ヒルトンホテルは(新)HICが従来と同じ経営者により同じ方針で経営することになったのです。そしてTWAとの間では、(旧)HICの全株式がTWAに譲渡されTWAと合併されることが合意されました。以上は、ヒルトンとTWA間の1967年2月27日付の契約で合意されましたが、このことについてヒルトンは東急に同意を求めることはしませんでした。
これを知った東急電鉄の社長五島昇氏は翌3月16日付の書簡をHICの会長兼社長のコンラッド・ヒルトン(ヒルトンホテルを一代で築き上げた人物)に送り、上記の一連の取引はヒルトン・東急間の業務委託契約の精神と意図に著しく違反し、さらに同契約の前提である信義誠実の原則に違背し、特に第26条(契約の無断譲渡禁止)および第33条(契約の誠実履行義務)の規定に違反するものであるから、30日以内にすべて白紙還元せよ、もしそれを実行しないときは業務委託契約を解除する、と通告して来ました。
この通告を受け取ったヒルトンでは、General Counselのシドニー・ウィルナー氏が偶々米国に来ていたブレークモア弁護士と会って検討し、上記の一連の取引は東急が業務委託契約を一方的に解除する法律上の原因とはなり得ないとの結論に達し、ウィルナー氏はコンラッド・ヒルトン氏にその旨を報告しました。
そして東急の通告書に記載された30日の期間が経過した4月20日、東急側からTHHの代表取締役星野直樹(戦時中の大物官僚)が、東京ヒルトンホテルの総支配人アンソニー・クレッグ氏に面会を求め、THH社長五島昇氏からの即時解雇通知書を手交し、即時解雇手当288,630円を受け取るように求め、且つ総支配人室からの退去を求めました。理由は、THHは業務委託契約に基づきクレッグ氏を雇用したが、同契約が(東急側がヒルトンに通告した違反是正期間である30日の経過により)失効したため、というものでした。クレッグ氏は解雇は無効であると主張し、即時解雇手当の受取を拒否しましたが、抵抗しても無駄なのでホテルから退去しました。そのときすでに総支配人室の入口のクレッグ氏の名札は星野氏の名に代えられており、星野氏のデスクが運び入れられるのをクレッグ氏は目撃しました。東急側は直ちにホテルの経営全般を掌握し、玄関前のポール上に掲げられていたヒルトンの社旗を下ろして東急の社旗に代え、ホテルで客に配るマッチ箱も予め準備していたキャピトル東急名のものに代えました。彼等はさらにホテルのレター・ヘッド、注文書、領収証、などに至るまですべて手際よくキャピトル東急名のものに代えましたが、流石にロゴ入りの陶磁器の食器までは手が廻らなかったようでした。
そして、東急側はすぐに東京地裁にクレッグ氏を被申請人として仮処分命令を申請しました。
申請の趣旨は:
- クレッグは東京ヒルトンホテルの土地及び建物内に掲示板、張紙等を用いたりしてTHHのホテル経営を妨害する一切の行為をしてはならない。
- クレッグは東京ヒルトンホテルの建物のうち自己の居住区を除く部分に立ち入ってはならない。
との仮処分命令を求めるというものでした。
これに対し、私たちヒルトン側は急いで逆に、HIC、日本ヒルトン(株)("HJC")(HICから業務委託契約に基づきホテル運営の再委託を受けた100%子会社)およびクレッグ氏を申請人とし、東急電鉄およびTHHを被申請人として、東京地裁に対し、真向から対立する仮処分命令を申請しました。
申請の趣旨は:
- 申請人等は業務委託契約に基づく東京ヒルトンホテルの経営業務受託者であることを確認する。
- クレッグは業務委託契約に基づくTHHの総支配人であることを確認する。
- 被申請人等は業務執行契約に基づくクレッグの如何なるビジネス業務をも妨害してはならない。
- 被申請人等は申請人等が業務執行契約に基づく東京ヒルトンホテル運営業務受託者の地位を解かれた旨を方法の如何を問わず表示してはならない。
との仮処分命令を含める、というものでした。こうして、東急とヒルトンの激しい仮処分合戦が始まったのです。
さて、ここで、東急の解除通告の中でヒルトンが違反を問われた業務委託契約の二つの条文について説明しましょう。
先ず第26条によれば、いずれの当事者も相手方の事前の書面による同意がない限り、同契約自体ないし同契約に基づく権利義務を他へ譲渡することはできないとされていましたが、例外としてその当事者が完全に所有し且つ完全に経営している("fully owned and fully managed by the party")子会社への譲渡は可能と明記されていました。次に第33条は、"TKK and Hilton shall faithfully perform the provision of this Agreement with all diligence. Other matters which are not provided for in this Agreement shall be decided by mutual agreement by and between the parties hereto from time to time."という規定でした。
皆さんがすぐ気付かれるように、(新)HICは(旧)HICの100%子会社ですから(旧)HICから(新)HICへの業務委託も同契約上の全権利義務の譲渡も、第26条の禁止の例外規定で許されています。また第33条の規定から、上記ヒルトン側の一連の行為について東急の同意が必要ということもすぐには出て来ません。東急が、上記の通告書の中で、契約の"精神"、"意図"、"信義誠実の原則"を強調したのは、それを意識していたからと思われます。しかし、東急にしてみれば、東急がホテルの運営をヒルトンに業務委託したのは、相手がヒルトンだからこそ委任したのでしょう。それがいくら第26条に例外規定があるからといって、HICが新たに100%子会社を設立してそれに業務委託契約をそっくり譲渡し、その後直ちにTWAと合併してしまい、(新)HICはTWAの100%子会社になったのですから、心穏かでいられないのも無理はありません。しかも、東急は、当時、日本航空の大株主で、日本航空はTWAと競争関係にあったのですから、尚更のことです。日本の新聞各紙も同じように感じたのでしょう。ヒルトン側の取引の仕組みが解ると、(旧)HICは業務委託契約を(新)HICに譲渡して自らを"抜け殻"にしてTWAに合併したのだ、といって"抜け殻合併"と呼ぶようになり、ヒルトンに批判的な論調になってきました。
ヒルトン側がこの方式を選んだのは別段東急を意識してのことではなく、主にTWAとの取引をtax freeにするために考えて、米国以外の世界各国のヒルトンホテル全部に共通に適用される方式として選択したものであり、何も後ろめたいところはありませんでしたし、事実、東急以外のホテル所有者からは何のクレームも出されなかったのです。しかも、東急側には前に述べたように、東京ヒルトンホテルの業務が初めから非常に好調であるため業務委託契約によりヒルトンにボーナスを払うのが惜しくなり、契約条件の改訂をしつこく迫っていたという事情がありましたし、またヒルトンによる東京ヒルトンホテルの運営を毎日見ていて、同じようなことは自分達だけでもできると思うようになり、自分達でやりたいと欲するようになっていたこともあって、契約解除の口実を見つけたと思って解除通知に踏み切ったのだろうとは思われます。それにしても、"抜け殻合併"の批判は耳に入り易く、また"抜け殻合併"に基づく契約解除論にも一理なしとはしないので、私達は仮処分合戦の帰趨は決して楽観できないと思い、毎日緊張して東急側の仮処分申請に対する反論、証拠書類の収集、整理、陳述書の作成に集中し、双方の申請についての裁判所による審尋の準備を進めました。
[2004年4月執筆]
(つづく)