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ホーム > 事務所紹介 > 長島安治弁護士の手記 > 第1回 蛎殻町時代(その一)

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第1回 蛎殻町時代(その一)

今から、長島・大野法律事務所が常松簗瀬関根法律事務所と合併して現在の長島・大野・常松法律事務所となる以前の歴史をなるべくいわば立体的に書いてみようと思います。

長島・大野法律事務所の創立は1961年1月1日で、いまから38年余り前でした。

その時の事務所は、銀座のデパート松屋のそばの東京中小企業会館というビルの中にありました。(このビルは今でもあります。)では、何故表題を“銀座から紀尾井町まで”にしないで、“蠣殻町から紀尾井町まで”にしたのか、その訳から話しましょう。

いま言いました1961年1月1日という日は、長島・大野法律事務所がパートナーシップとして発足した日であって、実際にはその創立パートナーの大野さん、福井さん、私とそれに先輩弁護士の所沢道夫(しょざわ・みちお)さんの四人は、所沢道夫法律事務所という個人事務所の形で、それ以前から一緒に仕事をしていたのです。従って新たにパートナーシップとして出発した法律事務所の名称も、長島・大野法律事務所ではなくて“所沢・長島法律事務所”というものでした。

蠣殻町というのは、その所沢法律事務所が1954年の暮れまであったところで、その前年にまず私がその事務所に初めての居候弁護士、いわゆるイソ弁として入り、つぎの年の春に大野さんが二人目のイソ弁として入って来たのです。つまり長島・大野法律事務所のルーツは蠣殻町に辿り着くので、表題を“蠣殻町から紀尾井町まで”としたのです。

蠣殻町というのは人形町の隣にある町で、葭町(よしちょう)という花街の一角にあります。葭町は花街としては今でこそすっかりさびれてしまいましたが、当時はまだ盛んなものでした。黒板塀の料亭や待合が並び、火ともし頃になると芸者衆を乗せた人力車が行き交うのです。昼休みに辺りを散歩すると、髪結い帰りやら稽古帰りの芸者衆に出会ったり、家のなかでさらっている三味線の音が聞こえて来たり、それはそれは艶っぽい情緒のある巷でした。

では何故そんなところに法律事務所があったのでしょうか?

所沢道夫さんは二代目の弁護士で、初代は蠣殻町にあった穀物取引所関係の仕事を主にやっていたそうなのです。初代は、私が事務所に入ったときは既に亡くなっていましたが、奥さんは御存命で、初代が建てた蠣殻町の木造三階建ての事務所兼居宅に独りでまだ住んでおられたので、何回かお目にかかる機会がありました。奥さんや所沢さんの話を聞くと、明治・大正・昭和初期の弁護士の様子の一端が窺えて、なかなか面白いものでした。そんなこともできれば書いておこうと思います。なんだか古老の話のようになってきましたが、時間と興味のある人が読んで下されば幸せです。

[1999年2月執筆]
(つづく)